こうした彼女の主張がワシントンで勝利を収めた結果、NATOは、旧ソ連の軍事同盟であるワルシャワ条約機構の加盟国だった、チェコ、ポーランド、ハンガリーを1999年に公式のメンバー国として迎え入れました。その後もNATOは、バルト三国や他の東欧諸国を次々と取り込んでいきました。

しかしながら、そもそも西側の軍事同盟であるNATOが東方に向かって拡大すれば、ヨーロッパが平和になるとの発想は、リベラル制度論の間違った約束でしょう。むしろ、これにロシアが必然的に脅威に感じるのは自明ではないでしょうか。

NATO研究者の金子譲氏は、オルブライト氏の「NATOは軍事同盟であって、社交クラブではない」という発言を引きながら、NATO東方拡大により「冷戦の終焉やCFE条約の調印によって減退した筈のNATOとの緊張が高まることも必至であった」と当時の論文で述べています。卓見といえるでしょう。

NATO拡大とロシアのウクライナ侵攻の因果関係については、それを肯定するリアリストと否定するリベラルとの間で、今後も研究と論争が続くことでしょう。ここではウクライナ危機が先鋭化した2014年の「マイダン革命」を取材した『ガーディアン』誌の当時の記事を紹介します。

ウクライナにおいて…レーガン時代以降初めて、アメリカは世界を戦争に巻き込むと脅している。東欧とバルカン半島がNATOの軍事拠点となり、ロシアと国境を接する最後の『緩衝国家』であるウクライナは、アメリカとEU(ヨーロッパ共同体)により放たれたファシストの力により引き裂かれようとしている。

アメリカ政府が親露派のヤヌコビッチ大統領の失脚にどのように関与していたのか、詳細はいまだに明らかにされていませんが、これがプーチン大統領を「クリミア併合」へと駆り立てた可能性は否定できないでしょう。

その後、紆余曲折を経て、ロシアはウクライナが西側に取り込まれることを「レッド・ライン(超えてはならない1線)」とみなし、NATO拡大を阻むためにウクライナに侵攻したとリアリストや一部のロシア研究者は主張しています(下斗米伸夫『プーチン戦争の論理』集英社、2022年、55頁)。

不要だったイラク戦争とアフガニスタン戦争

第2に、リアリストはアメリカによるイラク侵攻に「不必要な戦争」であるとして反対でした。その主な理由は、サダム・フセインのイラクは湾岸地域で覇権を打ち立てるほどの力はないので封じ込められること、イラクへの軍事侵攻と強引な民主化はアメリカの国益ではないことです。

しかしながら、「軍事力を行使してでもアメリカのように世界をリベラルなものに変える」と意気込む「ネオコン」が中枢を占めるブッシュ政権は、イラク戦争を始めました。その結果は、目標達成とは程遠い惨状をイラクにもたらしました。イラク戦争には約200兆円の戦争関連の費用が支出され、約27-30万人の死者を出したのみならず、イラクは今も政情不安が続いています。

第3に、アメリカはリアリストが外交エリートだったならば、アフガニスタンに深入りすることはなかったでしょう。9.11同時多発テロのインパクトを考えると、アメリカはアルカイダを匿ったタリバン政権への何らの「報復措置」を発動したでしょうが、死者約24万人、約231兆円を費やすアフガンの平定作戦を20年間も続けることには、間違いなくならなかったでしょう。

全てがアフガニスタン戦争に起因するわけではありませんが、アフガニスタンの状況は戦争前より悪化しています。アフガニスタン人の苦境を戦前と戦後で比較すると、食糧不足は62%から92%、5歳以下の栄養不良は9%から50%、貧困率は80%から97%にいずれも増えているのです。

悪化したリビアの人道危機

第4に、リビア人道危機の悲劇も起きなかったでしょう。オバマ政権が「人道的介入」の名のもとに軍事介入した結果の惨状は、アラン・クーパーマン氏(テキサス大学)が、このように批判しています。

NATOが軍事介入するまでには、リビア内戦はすでに終わりに近づいていた。しかし、軍事介入で流れは大きく変化した。カダフィ政権が倒れた後も紛争が続き、少なくとも1万人近くが犠牲になった。今から考えれば、オバマ政権のリビア介入は惨めな失敗だった。民主化が進展しなかっただけでなく、リビアは破綻国家と化してしまった。暴力による犠牲者数、人権侵害の件数は数倍に増えた。テロとの戦いを容易にするのではなく、いまやリビアは、アルカイダやイスラム国(ISISの)関連組織の聖域と化している。

こうした反実仮想から言えることは、冷戦後のアメリカの歴代政権の外交政策は、リベラル派の介入主義に立脚しており、リアリストの政策提言を受け入れていれば失うことのなかった多くの人命や途方もない金額のカネを犠牲にして、世界をますます危険にしたということです。