「歴史のイフ(もしも)」を問う反実仮想は、出来事の必要条件や原因を推論するために使われる、政治学の1つの有力な方法です。歴史学では一部の研究者を除いて、「歴史のイフは禁句」とみなされるようですが、政治学では、この方法は積極的に活用されています。
冷戦後のアメリカの歴代政権は「リベラル覇権主義」を追求しました。これはアメリカが世界を自国のイメージに変えようとした壮大な社会工学的実験でした。ここ1つの興味深い疑問が生じます。それは、ワシントンの外交エリートがリベラルではなく「リアリスト」だったならば、冷戦後のアメリカの重要な対外政策やそれに影響された事象は、どのように変わっていただろうか、ということです。

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第1に、ヨーロッパ全体は、今より、はるかに平和だったでしょう。これは忘れられがちですが、冷戦後、ロシアとヨーロッパ諸国は「平和のためのパートナーシップ」により協調的に共存していました。ところが、冷戦時代にソ連を仮想敵国としていたNATO(北大西洋条約機構)が、冷戦後も存続して、クレムリンの指導者が容認できないほどに、その勢力を広げていきました。
そもそも、アメリカはソ連に対して、口約束ではありましたが、「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」と伝えていました。しかしながら、その後のアメリカの歴代政権は、これを無視してNATOをどんどんと東方へ拡大したのです。これがソ連の後継国家であるロシアを少しずつ刺激して、同国を西側に対して敵対的な姿勢へと促したことは、想像に難くありません。
アメリカ外交の賢人とうたわれた「リアリスト」のジョージ・ケナン氏が、NATO拡大はロシアとの関係を決定的に悪化させるので反対であり、「致命的な間違いだ」と強く主張していたのは有名です。攻撃的リアリストのジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)も、ウクライナ危機が悪化する以前から、NATO拡大とウクライナへの軍事支援の行き着く先は、ウクライナにとって「いばらの道」になると反対していました。
NATO拡大は、クリントン政権時代に起源を求められます。同政権の国防長官だったウィリアム・ペリー氏は、職を辞す覚悟でNATO拡大に反対しました。アメリカがロシアを追い詰めたことは失策であり、ロシアのウクライナ侵攻の遠因になったと自戒を込めて告白しています。少し長くなりますが、彼の悔恨を以下に引用します。
私たちは、平和のためのパートナーシップと呼ばれる NATO プログラムを通じて、すべての東ヨーロッパ諸国との共同プログラムを開始した。平和のためのパートナーシップにより、ロシアやその他の東ヨーロッパ諸国は、NATO のメンバーになることなく、NATO と協力することができた…しかし、多くの東ヨーロッパ諸国が実際の NATO 加盟を熱望していたため、クリントン政権は NATO の拡大に関する議論を開始した。ロシアは提案された境界の変更に反対を表明したが、その見解は無視された。その結果、ロシアはNATOとの協力的なプログラムから撤退し始めたのだ…NATO の拡大に対するロシアの強い見解を無視したことは、西側諸国がロシアの懸念を真剣に受け止めていないという一般的なロシアの信念を強化した。実際、西側諸国の多くは、ロシアを冷戦の敗者としてしか見ておらず、私たちの尊敬に値しないと考えていたのだ。
にもかかわらず、クリントン政権でNATO東方拡大が決定されたのは、東欧にルーツを持つマドレーン・オルブライト国務長官を抜きにしては語れません。リベラル派の彼女は、NATOによるユーゴ空爆を主導するとともに、この軍事同盟の拡大に尽力したのです。
当時、NATOの東方拡大はロシアを刺激するという一定の懸念がアメリカ議会にも存在していました。こうした心配に対して、彼女は、東ヨーロッパ諸国がNATOに加盟しなければ、これらの国家は軍事力を強化したりロシアに対抗する軍事的取り決めを結んだりして、かえってロシアとの緊張を高めることになるとの論陣を張ったのです。オルブライト氏の論理では、NATOを東方に拡大したほうが、ヨーロッパは安定するのみならず、ロシアを脅かさずに済むということになります。