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大邸宅向けの分譲地として開発
国登録文化財が集中する雲雀丘
大邸宅向けの分譲地として開発

(画像=『たびこふれ』より引用)
<高碕記念館から雲雀丘花屋敷駅の方を見下ろす©KanmuriYuki>
それもそのはず、雲雀丘は高級住宅地として拓かれた地域なのです。雲雀丘を開発したのは、『神戸市御影をめぐる発見:その1』で触れた日本一の長者村、住吉の住宅開発にも携わった阿部元太郎。同氏は、大正4年ごろから雲雀丘の10万坪以上の土地を開発し、邸宅用地を分譲しました。その中には1,000坪規模の土地もあったと言います。
開発地域の最寄り駅として雲雀丘駅を作ったのも阿部元太郎です。その後、雲雀丘駅は、それ以前からあった大阪寄りの花屋敷駅と合併する形で雲雀丘花屋敷駅となり、今に至ります。
国登録文化財が集中する雲雀丘

(画像=『たびこふれ』より引用)
<高碕記念館玄関ポーチ©KanmuriYuki>
開発当時建てられた大邸宅のうち現存するものは数えるほどになりましたが、それでも雲雀丘には今でも別格の優美さが残っています。これは、同地開発当初から独自の景観ルールが設けられたことと無縁ではないでしょう。上述した棕櫚の木の並木道も開発時に整備されたものです。
ちなみに当時の雲雀丘は西谷村に属しており、宝塚市に編入されたのは昭和30年になってからのことでした。現在、宝塚市には国登録文化財が17件ありますが、そのうち個人住宅に関わる指定は15件。その15件のうち実に14件が雲雀丘地域に集中しています。ただし、通年で見学可能なのは高碕記念館のみです。