阪神間に残る実業家たちの住んだ家には、いまも見る価値のあるものが残っています。
これまで紹介してきた芦屋のヨドコウ迎賓館、御影の甲南漬資料館、夙川の旧山本家、豊中の旧羽室家住宅などもその一部です。今回は宝塚市雲雀丘(ひばりがおか)の高台に立つ高碕記念館を紹介しましょう。
目次
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ
雲雀丘の名の由来
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ

<庭から見た高碕記念館 ©KanmuriYuki>
高碕記念館を設計したのは、日本の近代西洋建築を語るうえで外せないウィリアム・メレル・ヴォーリズです。ヴォーリズはアメリカに生まれ哲学を学んだ後、キリスト教伝道を志し、滋賀県の高校の英語教師として来日します。メンソレータムの近江兄弟社の創立者として有名で、多くの才能を持つ人でした。1941年、60代で日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。83年の生涯を日本で終えました。

<甲山を背に建つ関西学院大学時計台、提供:関西学院大学>
ヴォーリズが日本全国で手掛けた建築物は、教会や学校、病院、個人住宅など多岐にわたり、その数は「戦前だけでも1,500件」(高碕記念館パンフレットより)と言われています。戦災などで失われたものもありますが、今でも近江八幡市や軽井沢、京阪神などに彼の作品が多く残っています。例えば上の写真は、西宮市に残るヴォーリズ建築として有名な関西学院大学の時計台です。
雲雀丘の名の由来

<通り越しに見える高碕記念館 ©KanmuriYuki>
高碕記念館への最寄り駅は、阪急電鉄宝塚線の雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)駅です。西改札口を出るとすぐわかるように、駅から北側は少々勾配の急な坂道となっています。昔は果樹園が広がっていたというこのあたり。なるほど、雲雀が飛び交う丘だったから雲雀丘かと、つい早合点したくなりますが、さにあらず。土地名の由来は、「西に流れる滝ノ谷川にある「雲雀の滝」の名にちなんで阿部(元太郎)が付けたもの」(「近代における宝塚市雲雀丘住宅地の開発経緯とその性格 ―阿部元太郎による開発を中心にー」)だといわれます。高碕記念館の方によれば、この雲雀の滝はいまも、個人所有地内に現存するそうです。
駅から高碕記念館までは、距離にすれば400m程度、時間にすればおよそ10分です。坂道ではありますが、駅からまっすぐ山手に延びる棕櫚の木の並木道は、どこか異国に続く道のようなわくわく感を与えてくれます。またそのあと続く坂道の両側には、それぞれに美しい邸宅が並び、目にも楽しい道のりです。