「田園都市」がどこにも出ない
その表現は生硬で分かりにくく、さらに「推進する」「確立する」「促進する」「支援する」「加速する」「整備する」「設置する」「強化する」などが乱舞したままで、課題の説明になっていないところがある(同案:23-24)。
おそらくデジタル化しか念頭にないままに、「田園都市国家」がどのような歴史的背景と構造と機能を持つかの点検を放棄したのではないか。なぜなら、「田園都市」の主唱者ハワードも著書『明日の田園都市』もここにまったく登場しないからである。
代わりに出てくるのは、「デジタルサービス」「デジタル基盤の構築」「デジタル推進委員」「地域協議会」「digi甲子園」などである(同案:27-28)。
ハワードの「田園都市」
1898年にハワードは、田園の中で独立した新しい人口3万人程度の理想都市として「田園都市」(garden city)を発表した。かれは都市も農村も「磁石」のたとえを使って位置づけた後で、第三の選択肢として両者の利点を取り込んだ「田園都市」を図2のようにまとめた。
これを文章化すると、「二つの磁石は一つにならなければならない。・・・・・・(中略)都市は社会の象徴であり-相互扶助と親密な協力の父たること母たること兄弟たることの象徴であり-科学・芸術・文化・宗教の象徴である。そして農村は、神の人間に対する愛と思いやりの象徴である。われわれの生存と所有のそのすべては農村に由来する」(ハワード、前掲書:83)。
図2では当時の都市と農村の現状が要約されていて、両者の欠陥を相互に補うために「都市・農村」(Town-Country)の融合体として、第三の「磁石」として「自由」(freedom)と「協同」(co-operation)の「田園都市」が構想されたことがよく分かる。
すなわちハワードは、①自然の美しさ、②社会的機会、③低家賃・高賃金、④低い地方税、⑤多くの活動、⑥低価格、⑦清純な空気と水、⑧よい排水、⑨明るい家庭と庭園、⑩スラムがない、などを「田園都市」の主な内容とした。
したがって『新しい資本主義案』といいながら、その歴史認識も現状分析も行わず、「デジタル田園都市国家」の推進と謳いつつも、「田園都市」に全く触れないのでは、この「案」が政策的指針としてどこまで有効性を持つかに疑問が残る。