『新しい資本主義案』

2022年6月7日に公表された岸田内閣の『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)』(以下、『新しい資本主義案』と略称)の冒頭に、「課題を障害物としてではなく、エネルギー源と捉え、新たな官民連携によって社会的課題の解決を進め、それをエネルギーとして取り込むことによって、新たな成長を図っていく」(『新しい資本主義案』:2)という宣言がある。

これはたしかに「破局から学ぶ」「破局の教育学」」(ラトゥーシュ、2019=2020:126;127)に通じるところがあり、一般論としては正しいが、要はその学び方にある。「新しい資本主義」論を展開するのなら、「環境や状況の変化は常に不可避であり、結局、問われるのは変化への感度と対応力である」(奥和田、2019:220)ことへの配慮が欲しい。

ところが、『新しい資本主義案』の大きな特徴は、「資本主義を超える制度は資本主義でしかありえない。新しい資本主義は、もちろん資本主義である」(同上:1)と断言しただけで、それまでの「資本主義」と「新しい資本主義」との異同が検討されていない。

そのため「基本的思想」や「重点投資」先については細かな記述があるが、「資本主義」の実像の記述に乏しく、歴年の業績から学んだ形跡がうかがえない。これでは「感度と対応力」が不完全になる。

(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑩:新しい資本主義)

資本主義の歴史認識と現状分析

世界における250年間の「資本主義」論の歴史では、前回述べた「分厚い中間層」(連載第10回「新しい資本主義」2022.6.25)などよりももっと巨大な研究業績が積み上げられてきた。それは歴史認識と現状分析に分けられる。

前者ではアダム・スミス(1723年生)、マルクス(1818年生)、エンゲルス(1820年生)、ケインズ(1883年生)、シュムペーター(1883年生)などが、経済学分野でそれぞれに膨大な著作を刊行しているし、現在まで読み継がれてきた。

一方、社会学でもゾンバルト(1863年生)、ウェーバー(1864年生)、パーソンズ(1902年生)などが、独自の体系の中で「資本主義」の歴史と社会システムを精緻化している。これらもまた現在の社会学研究者にとっても必読な文献群である。

これらの「歴史認識」に加えて、「現状分析」では、この数年だけでもハーヴェイ、シュトレーク、ミラノヴィッチ、ティロールなどが優れた作品を発表してきた注1)。

ところが、『新しい資本主義案』ではこれらの諸作品への言及は皆無であり、歴史認識論に欠けていて、現状分析はあるとはいえ、それは「資本主義」論の範疇とは無縁のトピックスに終始した。