目次
■琉球王国はじまりの地・浦添からスタート
■琉球王国から連綿と続く伝統的な漆芸を見学

■琉球王国はじまりの地・浦添からスタート

沖縄の伝統的な琉球料理と踊りを堪能した週末旅|「男の隠れ家デジタル」的おすすめ沖縄ツアー!
(画像=浦添城の立派な石垣。、『男の隠れ家デジタル』より引用)

まず最初に訪れた浦添城跡は13世紀に築かれた城(グスク)で、首里城へと王宮が移る以前に琉球王国の中心となった舞台である。当時は三山時代と呼ばれ、島の北側を治めた北山(ほくざん)、浦添城がある中山(ちゅうざん)、そして現在の糸満市があるエリアの南山(なんざん)に分かれ覇権を争っていた。1429年に中山の王・尚巴志(しょうはし)が三山を統一したことで、浦添城を中心とした琉球王国が誕生した。

そもそも琉球王国は1429年から1879年までの450年間、独立して存在した国家だ。日本の江戸時代よりも遥かに長い間、琉球諸島を統一していたのである。だからこそ独自の文化や芸術、生活様式が華開いたといっても過言ではないだろう。

そんな琉球王国の始まりの地である浦添城は、1609年に薩摩軍の琉球侵攻により焼き討ちされた。また1945年の沖縄戦では日本軍の防衛拠点として激しい戦闘の舞台となり、さらに戦後には採石によって城壁が失われてしまった。現在は復元に向けて整備計画が進められているという。

沖縄の伝統的な琉球料理と踊りを堪能した週末旅|「男の隠れ家デジタル」的おすすめ沖縄ツアー!
(画像=浦添ようどれへと続く道。、『男の隠れ家デジタル』より引用)
沖縄の伝統的な琉球料理と踊りを堪能した週末旅|「男の隠れ家デジタル」的おすすめ沖縄ツアー!
(画像=右が西室(英祖王陵)、左が東室(尚寧王陵)。、『男の隠れ家デジタル』より引用)

その浦添城の北側、崖下にある「浦添ようどれ」は英祖王(えいそおう)が咸淳(かんじゅん)年間(1265〜1274年)に築いたといわれる琉球王国初期の王陵だ。「ようどれ」とは琉球語で“夕凪”という意味で、その名の通り海までの見晴らしが良く非常に穏やかな場所である。ここには英祖王と尚寧王(しょうねいおう)が葬られ、静かに長い時の中で眠り続けている。

浦添城のそばにある「浦添グスク・ようどれ館」で古写真やビデオ展示、実物大で再現された浦添ようどれの西室(英祖王陵)を見学し、次の目的地である浦添市美術館へ向かった。

沖縄の伝統的な琉球料理と踊りを堪能した週末旅|「男の隠れ家デジタル」的おすすめ沖縄ツアー!
(画像=浦添グスク・ようどれ館の中にある西室内部の再現展示。、『男の隠れ家デジタル』より引用)

浦添グスク・ようどれ館
沖縄県浦添市仲間2-53-1

■琉球王国から連綿と続く伝統的な漆芸を見学

沖縄の伝統的な琉球料理と踊りを堪能した週末旅|「男の隠れ家デジタル」的おすすめ沖縄ツアー!
(画像=宮廷などで出された料理の再現。、『男の隠れ家デジタル』より引用)

琉球王国はその地理的環境から中国(明国や清国)と冊封・朝貢関係を築いたほか、朝鮮(李朝)、東南アジア(マラッカ、ジャワ)、そして日本と交流・交易をしていた。その中で中国や日本から伝わった技術や文様などの影響を受けながら、漆芸が発展したという。その芸術性と技術は17世紀には“王朝文化の華”と称賛され、中国皇帝や日本の将軍や大名に献上されていた。

それらの貴重な漆器を見学できるのが県内唯一の漆器に特化したミュージアムの浦添市美術館である。常設展示では古琉球(12世紀後半〜1609年)時代をはじめ、近世琉球(1609〜1879年)、近現代(1879年以降)の年代ごとに発展していく漆芸の進化を見ることができる。

また、琉球料理が漆器に詰められた重箱料理の展示も非常に興味深い。鮮やかで華やかにさまざまな食材が調理されているのを見ると、食文化という側面からも琉球王国が成熟していたのがわかる。

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(画像=伝統的な重箱料理。、『男の隠れ家デジタル』より引用)
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(画像=見応え十分の浦添市美術館。、『男の隠れ家デジタル』より引用)

浦添市美術館
沖縄県浦添市仲間1-9-2