「数日で陥落するだろう」という多くの専門家の予想に反し、ロシアによるウクライナ侵略は2ヶ月を超えて未だ決着はつかず、長期化の見通しも伝えられる(4月27日現在)。
この予想外のウクライナ側の“善戦”は、米欧の間接的な介入は当然であるが、それを引き出すゼレンスキー大統領による宣伝戦の巧みさも一つの大きな要因のように見える。つまり(米・NATO側)国際社会を味方につけて武器や情報等の継続的な提供を受けることによって、圧倒的な軍事力を行使するロシアに対抗できているようである。
いまのところ「強大な軍事力とそれを活用できない拙劣な指導者(プーチン大統領)」vs.「劣勢な軍事力だが国際世論戦に長けた指導者(ゼレンスキー大統領)」という構図に見える。
この構図を見ていると、80年以上前の「蔣介石の巧みな宣伝戦」vs.「日本の大局観に欠けた国家戦略」を思い出す。

昨夏、NHKスペシャル『開戦 太平洋戦争~日中米英 知られざる攻防~』(2021年8月15日放送)ではそれを明快に解説していたので、本稿ではその要旨を引用して「蒋介石の宣伝戦」を振り返りたい。
上海事変を始めたのは我々(中国)だ
1937年8月、第二次上海事変が勃発する。これは日本軍が蒋介石の軍と上海で戦ったので“日本の侵略”の一環として記憶されているが、当該番組によれば「実は蒋介石側が周到に準備をした上で引きずりこんだ」というのである。その証拠として、コロンビア大学で確認された、中国軍の上海戦指揮官張発奎の証言を挙げている。そこには次の一文が記録されていた。
「我々が上海事変(813事変)を起こしたのであり、その逆ではない。国際的な干渉を引き起こすのが狙いだった。」(上海戦指揮官張発奎の発言)
第二次上海事変が仕組まれた“侵略”だったことは、計略物語にあふれる中国では自然な気もするが、今回注目するのはそこではなく「国際的な干渉を引き起こすのが狙い」の部分である。蔣介石は一体何を目論んでいたのであろうか。
蔣介石は極東の戦いを“国際化”
蔣介石は、あえて国際都市上海にまで戦火を広げることによって、「極東での戦いを“国際化”し大国の介入を引き出す戦略」をとっていたのである。既に蔣介石は、眼の前の戦闘による勝利や、都市および住民の被害の低減などにあまり関心はなかったようで、国際社会のなかで日本を孤立させることに関心があったようなのである。
そのためには「日本軍に攻撃され無惨な姿を晒す都市や住民」は、逆に格好の宣伝材料になるのだった。