発祥は江戸時代ともいわれる日本を代表するお菓子「駄菓子」。しかしながら、近年はコンビニエンスストアなどの発展などで、駄菓子屋が徐々に姿を消し、後継者不足により、製造メーカーも次々に廃業していく現状にあります。
そんな駄菓子業界を盛り上げようとする「テーマパーク」が岡山県に存在。近年SNSでも話題になっている「日本一のだがし売場」を訪問しました。
2021年7月某日。徐々に夏の足音が聞こえてくる中、「晴れの国 岡山」と称することだけもあり、「日本晴れ」な青空の岡山県瀬戸内市にやってきた筆者。
余談ですが私は以前、岡山に住んでいた時期があるのですが、「瀬戸内市」といえば周囲を山々に囲まれた閑静な街。
この日も当時と大きく変わっていませんでしたが、しかしながら、そんな瀬戸内にあるのが今回の訪問先「日本一のだがし売場」。
「こんなところにあるのかなあ?」という疑問をいだきつつ、車をどんどん走らせていくと看板を発見。「ふむふむ『右折1.2キロ』ね」どうやらあと少しで到着できるようです。

それにしても「岡山県で日本一」といえば、多くの方が「桃太郎」と連想しそうな地で、別の「日本一」を目にする機会が訪れるとは。それも岡山・倉敷・津山ではなくまさか瀬戸内で?(失礼)と、元岡山県民だからこそ感じてしまう「あるある」を胸に抱きつつ、目的地に到着しました。

■ 売り場?倉庫?
「ここが日本一のだがし売場みたいやけど……倉庫?」
そこにあったのは、「売場」というよりは「倉庫」と表現した方が適切な建造物。しかし駐車場には、平日昼間にもかかわらず、それなりの台数の車が止まっています。中には家族連れの人たちも。

今回訪問した岡山県瀬戸内市というのは、人口3万人ほどの小さな街。人口70万人超を誇る県庁所在地の「大都会」岡山市と隣接してはいますが、「日本一のだがし売場」がある地点は、瀬戸内のど真ん中の山間の地。車がないと訪れることが難しい場所にあります。
逆に言えば、「それでも足を運びたい」と思うだけの魅力があるのでしょう。筆者は、担当が待つ事務所へと向かいました。

売り場建物の左手前にある事務所内にやってきた筆者。さっそく入室……うーん!クーラーが心地いい!訪れたこの日は7月(2021年)ということもあり汗ばむ陽気。室内のクーラーが心地よく感じます。
すると今回お話を伺う「安達磨里」さんが出迎えてくれました。まずは名刺交換。
「こんにちはダルマちゃんです!本日はよろしくお願いします!」
ハキハキした声で応対いただいた安達さん。「日本一のだがし売場」の運営会社であり、卸問屋でもある株式会社大町の広報兼営業を担当している方です。
ってダルマ!?といきなり面食らった筆者。と言っても、眼前の安達さんが、ダルマの着ぐるみを着用して出迎えたというわけではありません。
どういうことなの……?と、ピンク柄の名刺の方に目を落としてみると、そこには「メディア担当 安達磨里」と書かれた上に描かれたダルマのイラストが描かれていました。ん?安達磨里……達磨……あっ。

「私の名前が由来なんですよ(笑)」
なるほど!と、名刺交換だけでひとつエピソードが生まれた今回の訪問。なおこの場には、専務取締役である秋山創一朗さん(以下、秋山さん)も同席されています。
■ 「もったいない市場」→「日本一のだがし売場」
――本日はよろしくお願いします。それにしても、平日昼間なのに多くの来客者ですね。実は私は元岡山県民なんですが、正直驚いています。
安達磨里さん「ありがとうございます!ちなみに土日は6000~7000人の方が来店されるんですよ」
――7000!?それはスゴイ……。
安達磨里さん「特にここ最近は、本当に多くの方に来ていただいております。観光バスのルートに組み込まれたり、あとは『SNS経由』も増えてきていますね」
――観光に組み込まれるのは大きいですね。ちなみに私が岡山に住んでいたのは2012年ごろなんですが、そのころは耳にしなかった記憶があります。
安達磨里さん「その辺の社史は確認しますね……(同席した秋山さんと確認中)。あった、これが社史が書いているやつ。『日本一のだがし売場』は1995年から始めたのですが、当時は年2回のイベントで、名称も『もったいない市場』でした。その後、2011年に常設されて現在の営業形態になっています。そこから2015年に現在の名称に改称し、2019年に増床をしました」
――なんと、25年以上前からやっていたとは。
安達磨里さん「増床前は、奥側の駐車場にひまわり畑がありました。私たちが世話をしていたんですが、増床のタイミングで撤去することになってしまって……」
――おお……それは……。そういえば御社は「食品卸」ということですが、「日本一のだがし売場」も、パッと見は食品倉庫のような外観ですね。
安達磨里さん「おっしゃる通りで、元々ここは倉庫として利用していました。それ以前に、元々弊社は、駄菓子を特段取り扱っている企業ではなかったんですよ」