お茶業界への挑戦
昭和天皇に献上することをきっかけに、良質の茶の茎を使ってほうじ茶を作りました。そして献上したほうじ茶は美味しいと好評だったそうです。「残ったお茶を持って帰りたい」と仰られたほどだったようです。
この出来事をきっかけに丸八製茶場は、ほうじ茶作りの方針を大転換します。
それまで200g 198円で安売りしていたほうじ茶を、仕入れ、製造方法を大きく変え、100g 1,000円で売ることに決めました。
なんとこれまでの約10倍もの高い値をつけるという方向に振り切ったのです。
「美味しいほうじ茶とはどういうものなのか?」優しいふくよかな香りへの探求が始まりました。

(画像=『たびこふれ』より 引用)
<お茶の焙煎風景>
ところがここからが苦難の始まりでした。
ほうじ茶イコール安いお茶のイメージが定着している世の中で、丸八製茶場が作った、質も高いが値段も高いほうじ茶は発売当初まったく売れませんでした。
「いったい丸八製茶場は何を考えているんだ」「まともじゃないんじゃないか」と周りからは奇異な目で見られたそうです。
方針を転換後、しばらくはまったく売れない状態が続きました。運転資金がどんどん減っていきました。多くの職人が会社を去っていきました。
起死回生策
「飲んでもらえれば美味しさ(価値)がわかるのに・・・」と思っても、常識はずれの価格の高いほうじ茶は売れません。
そして起死回生のヒットの口火になったのが、地元ではなく「東京で試飲で広める作戦」です。
東京のあちこちで、試飲してもらい、味を知ってもらう、という手に打って出ます。当時人気の雑誌でも小さな枠でしたが記事にしてくれました。これが健康志向、美味しいものにはお金を惜しまない層の人たちに火を付けました。