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戴天昭の記述は、「二二八」が、事情を知らない大陸の蒋介石を陳儀と陳誠が共産主義者を持ち出す捏造情報で動かした結果の悲劇でもあった側面を示唆する。一方、ウクライナがプーチンのいう様な「非ナチ化」を要する状況なのかどうか、日本にいて裏付けの取れない筆者には判断し難い。
が、言えることの一つは、為政者が、「法治国家」であることと「法の支配」とを独善で遺棄すれば、「二二八」のような事態が人々の身の上に起こるということ。二つ目は、その人々が無辜の民かどうか判り難い時代であること。三つ目は、何があろうと核は禁物、ということではなかろうか。
文・高橋 克己/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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