ロシアのウクライナへの軍事侵攻のニュースであふれかえる毎日、日本を含め世界中のほとんどの国がロシアを敵視している現状である。一方、ソ連が崩壊した1991年をはさんで数年間、ソ連のクイビシェフ(現サマラ)州にたびたび出張していた経験から、一般的な日本人と異なり、ロシアの発言を素直に理解できるようになった。

ウクライナ軍事侵攻:あおり運転は犯罪
(画像=vladm/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

欧米等の先進国と異なり、当時のサマラ市に外国人の宿泊するホテルはなく、州の施設に泊まった。日中の仕事が終われば一緒に飲んで食べての時間。トップの別荘小屋に招待されたこともある。ロシアでは別荘を持つのはごく普通だった。

その後もロシア関係の報道を見るたびに、違和感を覚えることが多かった。いい例が北方領土問題で、政府や国民の意向に正面から対峙する記事を書いたこともある。(「北方領土問題:不都合な真実 」)。

新聞記事やテレビなどでのプーチン大統領の発言を色眼鏡を外して読むと、ロシア側の主張は論理的でゆえに一貫性があることが多い。その視点で改めて今回のウクライナ問題の新聞記事を読み直してみた。(以下、出典はすべて日経新聞)

その前に、まず近代史に関する基礎知識。

第二次世界大戦が終わり、共産主義のソビエト連邦との対立が激しさを増す中で、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するため、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月に結成されたのがNATO(北大西洋条約機構)。実質的に西側陣営の多国間軍事同盟である。 ソ連側もこれに対抗するため、6年後の冷戦期の1955年、ソ連を盟主とした東ヨーロッパ諸国が軍事同盟を結成、これがワルシャワ条約機構である。しかし、1989年の冷戦終結に伴い東欧諸国において共産主義体制が連続的に民主化されたのに伴い、1991年3月にワルシャワ条約機構を廃止、7月1日に正式解散した。同年12月にはソ連が崩壊。 ソ連崩壊前のヨーロッパの両陣営の対立状況が下図、ワルシャワ条約機構健在の間は、ソ連はNATO軍から緩衝国としての東ヨーロッパに守られている形になっていた。

ウクライナ軍事侵攻:あおり運転は犯罪
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

ソ連解体後、これらロシアの盾となっていたこれら緩衝国すなわち東欧諸国が2009年にはすべてNATO、すなわち有事の際にはロシアを攻撃する側に回ったのである。それぞれ主権のある国家ゆえ、ロシアは危機感を覚えつつもどうする術もなかった。

ウクライナ軍事侵攻:あおり運転は犯罪
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

ベラルーシとウクライナはソ連の一員であったので冷戦時代の緩衝国ではない。バルト三国もソ連の一員であったが、これら三か国がNATOに加盟する際にロシアからの軍事介入があった記憶はない。ポーランドとの間にカリーニングラードというロシアの飛び地があり、地政学的に脅威ではなかったからだろう。

軍事的な現状は下図のとおり、青がNATO加盟国、ベラルーシとウクライナの二か国だけがロシアとNATOの緩衝国になっている。なおロシアと隣接するフィンランドも現時点まではNATOに加盟せず、軍事的に中立を守っていた。

ウクライナ軍事侵攻:あおり運転は犯罪
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

ウクライナ問題、軍事侵攻を回避し外交交渉により何らかの合意が得られることが望ましいのは明らかであろう。

ロシアにとっての安全保障上の最大課題は、軍事同盟であるNATOの東方拡大阻止、明確に書けば同じスラブ民族であるベラルーシとウクライナがロシアを敵国とみなす同盟に参加することの阻止だった。その手段としてプーチン大統領はウクライナ周囲に軍を配置、切迫感を演出することにより米欧との直接会話の機会を得、ロシアの意向を明確に伝えたかったのではないか。