想像力とは無縁の仮定法の乱発

⑨:「もし、デトロイトの食料がすべて地産地消になったら」、「もしコペンハーゲン市内で自家用車の走行が禁止されたら」。この具体的な「もし」(what if…)が既存の秩序を受け入れてしまう想像力の貧困を克服し、資本の支配に亀裂をいれる」(斎藤本:295)。

しかし、ベストセラー版元の集英社も資本主義枠内の出版社であり、「もし落書きを出版したら」はありえないはずである。むしろ、「もし」という仮定法の乱発こそが「想像力の貧困」を示しているのではないか。

⑩:市民なり国民の3.5%が学校ストライキや組合運動や署名運動などをするという「動きが、大きなうねりとなれば、資本の力は制限され、民主主義は刷新され、脱炭素社会も実現されるに違いない」(斎藤本:364)。

最後まで仮定法を使う「専門書」は確かに珍しいが、それならば公立大学に勤務するあなたは何をするのかという問いが、自動的にブーメランとして戻ってくる。

以上、仮定法「イフ」の乱発だけでは、「脱成長コミュニズム」の理論と実践は全く見えてこないことを示した。

「地球」と「コモン」を使ったマジック

もう一つ重要な斎藤マジックは、次の訳文に象徴される。

ドイツ語版『資本論』第1巻の第24章第7節末尾にある「最後の鐘」に続くマルクスの文章であり、具体的には「この否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはせず、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有をつくりだす」(太字金子、斎藤本:143)と訳された部分である注16)。

この翻訳面での意図的な変更として、従来の定訳「土地」が「地球」に、「共同占有」が「コモンとして占有すること」に変えられたことが指摘される。

私は、この改訳こそが、マルクスはエコロジストであり、『資本論』が今日の気候変動までも扱えるとした斎藤マジックの秘密であると指摘したことがある(濱田・金子、前掲論文:148-149)。