国民総幸福量(GNH)と人間開発指標(HDI)では評価が異なる

⑤:先進国と「同じ資源とエネルギーをグローバル・サウスで使えば、そこで生活する人々の幸福度は大幅に増大する」(斎藤本:110)。

これが全く不可能であったことは2021年11月のCOP26で証明された通りである。それでも「ブエン・ビビール」が希求され、ブータンの「国民総幸福量」(GNH)にも斎藤は好意的な評価を下している。

ただし、たとえば国連の「人間開発指標」(HDI)では不可欠の「識字率」指標を見ると、キューバ、日本、アメリカの99%とは異なり、ブータンは52.8%に止まり、世界のランキングでは202位になっている(濱田・金子、前掲論文:12)。これをどう解釈するか。

なお、ラワース本でも、GDPへの対抗指標として、国連による「人間開発指数」、「地球幸福度指数」、「包括的な豊かさ指数」、「社会進歩指数」などが羅列的に紹介されている(ラワース本:398)。

羅列的という理由は、上述したブータンのように、「幸福度指数」が高くても、識字率に象徴される「人間開発指数」が低いことが起きているという現状をそのままで示したからである。これはもちろん指標の宿命であり、したがって論者の問題意識で指標は変わるから、GDPを敵視するだけでは何も解決しない。

⑥:「資源の制約も地球環境の限界も、新技術さえあれば気にしなくて良い」(同上:219)。

もちろん同意するが、ここでも問題は「新技術」をどこでいかにして創造するかにある。EV化一つとっても、激烈な競争が自動車生産企業と国を巻き込んで始まっている注15)。

自動徴収される「再エネ賦課金」

⑦:「エネルギーが地産地消になっていけば、電気代として支払われるお金は地元に落ちる」(斎藤本:261)。

この直前には「再エネ」の普及が論じられているから、このエネルギーとしては「再エネ」が想定されていることは間違いない。しかし、たとえば「再エネ賦課金」の扱いはどうなのか。全世帯ですでに月額1000円程度になっているこの強制徴収金は、自宅屋根に太陽光発電パネルを置ける家だけに還元される仕組みが続いている。これは不公平ではないかという意見もまた根強くある。

⑧:「自己抑制を自発的に選択すれば、それは資本主義に抗う『革命的』な行為になる」(同上:276)。

ここでいわれる「自己抑制」は「無限の経済成長を断念し、万人の繁栄と持続可能性に重きを置く」ことなのだが、「万人の繁栄」とはGNとGSのどのレベルの繁栄をさしているのか。資本主義への「離陸」さえいまだ程遠いようなGS諸国では、繁栄は「経済成長」と無縁なままで持続可能なのか。