ゲートウェイ・アーチが照らし出すアメリカ社会の深く鋭い亀裂

この壮大なモニュメント建設プロジェクトが、なぜ落成までこんなに長い歳月を要したのかを年表形式でまとめてみました。

クルマが殺したアメリカの町:ミズーリ州セントルイス
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

やはり「まったく実用性のないものに大金を投ずるムダ」という批判は、かなり的を射ていると思います。

ただ、当時はそれまでかなり豊かに暮らしていた人たちのあいだでも、とにかく地元に大勢の働き手を必要とする仕事を引っ張ってくる政治家がいてくれるとありがたいと感じる世相だったことも、この計画が発進できた理由のひとつでしょう。

それにしても、もうひとつの核心を衝いた論点である「都心部から黒人居住区を一掃しようとする計画だ」という批判は、結局竣工時まで表面化しませんでした。

計画期から施工期間を通じて唯一人種差別が問題となったのは、黒人組合員の多い組合からの「AFL-CIOが我々の参入を拒むのは人種差別だ」という批判だけでした。

この批判に対して、AFL-CIOは「いや、彼らは低賃金で仕事を引き受けるので、労働組合の理念に反する団体だ。だから入れてやらないだけだ」と応戦して、この論争は決着しました。

時代を感じさせるのは、当選した計画がフィンランドからの移民第2世代であり、自身もアメリカ国籍とともにフィンランド国籍も維持していたエーロ・サーリネンの設計によるものだったことへの「アーチはファシズムの象徴だ」という批判です。

枢軸国側に立ったドイツ、日本、イタリアは極悪人扱いで事実上連合国軍による信託統治が続いていたころも、枢軸国側で参戦し、ソ連軍と戦ったにもかかわらず、フィンランドだけは国土を占領統治されることはありませんでした。

もちろん、フィンランド国民にしてみれば「ソ連軍による自国領土の侵略を武力で阻止することだけが目的であって、他国を侵略する意図はまったくない正義の戦争だった」ということになります。

ですが、どんな戦争でどんなに攻撃的なスタンスを取った国でも、同じようなことを言うものです。

そういう意味では「枢軸国側での参戦」という大罪を犯したフィンランド国民が名誉あるプロジェクトの主設計者になることを、どうしてもすなおに受け入れられなかったアメリカ人もいたということでしょう。

計画当事者全員にとって鉄道は厳重に隠蔽すべき過去の遺物だった

私にとっていちばん興味深いのは、鉄道線路の移設に本建築とほぼ同じ長い年月を要したことです。

セントルイスは、もともとミシシッピ川の舟運を基盤に成長してきた都市です。

1960年代ともなると、河川を航行する貨物船は大いに、また貨物鉄道もやや衰退に転じていたとは言え、貨物列車と貨物船のあいだの貨物の積み換えなどに川岸を通る鉄道線路の存続はまだ不可欠でした。

と同時に、このプロジェクトの用地周辺だけ、大きく内陸側に線路を迂回させることも莫大な用地買収費と長い歳月を必要とするので現実的ではありません。

なんとか川沿いに線路を走らせる状態のまま、プロジェクトのすぐそばにあった貨物積み換え駅を移転させる……それだけの工事のように感じます。

ところが、どうもこの計画の設計コンペ参加者もふくめて、当事者全員が鉄道は存在自体を隠蔽しなければならないほど恥ずかしい過去の遺物と見ていたようなのです。

その隠蔽法としては、本格的なトンネルを掘る、開削工事で掘った堀割りに線路を敷設してから天蓋をかぶせて隠す、堀割りを深めに掘って上には蓋をかぶせないままにするという3案が出ました。

サーリネンなどは、もし線路移設法で自分の案が採用されなければ、全体計画の主設計者の地位も降りると主張するほど入れこんでいました。

でも、だれひとりとして「ときどき壮大なアーチの根元のあたりを列車が行き来しているのが見えてもいいじゃないか」と主張した気配はありません。

結局、川岸のかなり軟弱な地盤の場所に本格的なトンネルを通したわけですが、鉄道線路や列車が見えていても問題はないと考えていたら、ずいぶん時間と費用を節約できていたのではないかと思います。

もちろんノスタルジーによる美化はそうとうありますが、1944年に制作されたミュージカル映画では、市街電車は大都市の活気を象徴する交通機関としてとても肯定的に描かれています。

一方、それよりあとにおこなわれた鉄道線路移転に際しては、都市計画学者や、建築家や、行政側の都市計画官が知恵を出し合って鉄道移設計画を立てました。

そこでは、鉄道の存在を覆い隠すことにこれだけムダな時間と資金と労力を費やしていたのです。

専門家になればなるほど、自分が属する狭い分野の固定観念にとらわれて自由な発想ができなくなってしまうのではないでしょうか。

自動車が都市の存在そのものを脅かす交通機関だという主張は、最近全面的に増補改訂した拙著、『クルマ社会・七つの大罪 増補改訂版 自動車が都市を滅ぼす』で詳述しております。ご興味をお持ちでしたら、ぜひお読みください。

編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。

文・増田 悦佐/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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