(本記事は、髙橋芳郎氏の著書『アートに学ぶ6つのビジネス法則』=サンライズパブリッシング出版、2019年5月25日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

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グーグルはエンジニアリングだけでなくアートも利用している

GAFAの一角を占めるグーグルは、アートとは対極のエンジニアリングの権化みたいな会社だと思われています。

実際、グーグルの創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、スタンフォード大学大学院の計算機科学の学生でした。採用している人材も、一流のエンジニアやプログラマーに偏っています。

一方でグーグルは、ドゥードゥルと呼ばれるトップページの「遊び力」でも知られています。

グーグルのトップページは、グーグルのロゴと検索窓だけが表示されるシンプルなものですが、ときどきこのトップロゴの形が変わっています。世界の記念日や祝日や偉人の生誕日にあわせてロゴをつくり、クリックすると簡単な紹介アニメが流れるようになっているのです。

例えば、2019年3月8日には、国際女性デーのグーグル・ドゥードゥルが作られて、クリックすると世界中で活躍した女性偉人の言葉を紹介するスライドショーが流れました。

ちなみに一人目は日本の芸術家オノ・ヨーコで、二人目はメキシコの画家フリーダ・カーロでした。グーグルにおいても、アーティストの力が評価されていることがよくわかります。

このグーグル・ドゥードゥルにおける「ドゥードゥル」とは「いたずら書き」のことで、まさしくグーグルの「遊び力」で作られているものです。

ちなみに「グーグル」の名前は、10の100乗を意味するグーゴルから来ていますから、そちらは完全に数学オタクの世界です。

グーグル・ドゥードゥルは、テクノロジーや合理性を追求する中からは出てこない発想です。合理的な計算世界のグーグルから、なぜ言葉遊びやいたずら書きといった遊び力満載のドゥードゥルが生まれたのでしょうか。

実は、グーグル・ドゥードゥルを担当していたのはマリッサ・メイヤー。グーグル初の女性エンジニアで、後に副社長に昇格した人物です(グーグル退社後はヤフーのCEOに就任しました)。

マリッサ・メイヤーもスタンフォード大学で計算機科学の修士号を得た秀才ですが、実は父親がエンジニアで母親が美術教師という、アートに親しみのある環境で育ったことがわかっています。

長じてからはエンジニアになったマリッサ・メイヤーですが、母から教わったアートの教養が彼女の華々しいキャリアのもとになっていると想像するのは難しくありません。

ドゥードゥルのような発想は、計算機科学の足し算だけでは出てこないものと思います。

1973年に亡くなったピカソは、現代のIT文化を知りませんが、それでも初期のコンピュータを見て、次のように言っています。

「コンピュータなんて役に立たない。だって答えを出すだけなんだから」この言葉を深掘りして考えると、答えはコンピュータでも出せるが、創造は人間にしかできないということになるでしょう。

ですから、アートで遊び力を学ぶ、あるいはアートで頭を柔らかくするということは、これからのビジネスパーソンにとっては必須のトレーニングだと私は考えます。

人間の文化の本質は「遊び」にある

アートから学ぶべき一番の精神は「遊び力」です。

アートには堅苦しいビジネスとは違った自由な「遊び力」があり、それがアートをアートたらしめている最大の要素です。

ビジネスにはない「遊び力」が、なぜビジネスの役に立つのかといえば、人間の本質が「遊び」にあるからです。

オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガが、ホモ・サピエンスをもじって「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と言ったように、人間は古来より「遊び」によって文明を作り、「遊び」によって進歩してきました。「遊び」こそ人間の本質だと、ホイジンガは考えたのです。

ビジネスが人間の生産活動である以上、その根底には「遊び力」が必ずひそんでいます。それなのに、なぜビジネスは堅苦しいものとなっているのか。

実は、広い意味でいえば、ビジネスも「遊び」です。

フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは、ホイジンガの考えを継承した著書『遊びと人間』の中で、「遊び」とは「規則から自由になろうとする力(パイディア)」と「強制的にルールに従わせる力(ルドゥス)」との狭間にあるものだと指摘しました。

すべてのゲーム(遊び)は、ルールがなければ成立しないがために「遊び」の中には必ず規律が潜んでいます。

ですから、ビジネスも広い意味では「遊び」です。それを楽しめるか楽しめないか、言い換えれば、ルールが適切かそうでないかが、ビジネスを面白くもつまらなくもさせています。

そして、一般のビジネスパーソンの多くが「窮屈な規則に縛られていてビジネスを楽しめない(ルドゥスにひっぱられている)」のだとしたら、アートの持つ「自由を志向する力を学ぶ(パイディアに寄っていく)」ことで、ビジネス環境を改善できるのではないかと私は考えます。

実際、これだけ生産物がコモディティ化していくデフレの世界で、なぜ美術品だけが際限なく価格を高騰させていくのか。

それに対する一つの答えは、人間がアートの中にあるパイディアの「遊び力」に強く惹かれているからではないでしょうか。

人間の精神の尊厳に対する思いが強いからと言い換えることもできます。

人間の本質は「遊び」にあるというホイジンガの考えに、私は強く賛成します。

そして、動物と人間との違いも「遊び」にあるのではないかと思います。なぜなら、動物と人間とのもっとも大きな違いは「笑い」にあるからです。

人間以外の動物は、その遺伝子の98%が同じといわれるチンパンジーですら「笑顔」を見せません。人間だけが、感情を「笑い」に変換できるのです。

この「笑い」という表現はいかにも人間的で、人間ならではの感情や尊厳を表しています。「笑い」に象徴される人間の本質が、アートのもつ「遊び力」と根源的につながっているのでしょう。

「遊び力」があるから高額商品が売れる

私たち人間は、ただ慣れ親しんだところで安全を守る生き方ではなく、危険を伴う未知の世界への冒険に心を惹かれるところがあります。

従来のやり方では飽き足らず、より便利を求めて発明や発見を重ねるとか、一見無駄に見えても執拗に繰り返してついには難題を解決するとか、合理性だけでは計れない「遊び力」によって、人間の文明は発展してきました。

人の「遊び力」は、ときに刺激を求めて危険に及ぶ行為もあります。

命の危険を冒してまで前人未到の山に挑んだり、スカイダイビングにチャレンジしたりする人がいるように、人は常に遊びと刺激を求めています。

しかし、多くの人は本当の危険を冒してまで刺激を求めるわけではありません。

遊園地のジェットコースターやお化け屋敷などのような、安全が保障されているスリルが好きなのです。

ですから、人の消費行動にも遊びと刺激を加えることで、お客様を楽しませてあげられるようになります。

例えば、何かを購入しようとするとき、まったく懐の痛みを感じることなく簡単に買うことができる買い物は、購入時に緊張感も刺激もなく、購入後にも特別愛着をもてないものです。

そのようにして買ったものは、あまり大切にしないことが多いでしょう。

逆に、欲しいけれども「自分の金銭感覚から言えば高くて買いにくいな」、「買いたいけどどうやって支払おうかな」、などと悩んだ末に、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入を決断するような高額の買い物をした場合は、その後も大切に使うはずです。

それは、買おうか買うまいかといろいろ悩んだり、決心するために情報を集めたり、人に相談したりといった、購入の決断までの過程が遊び力を刺激するからです。

ぜいたく品を買う場合は、それを買うまでのプロセス自体が楽しい遊びになるのです。

車とか家とか絵画を買うことを想像してみてください。それだけで楽しい気分になりませんか?

パリで見かけた「遊び力」のマーケティング

10年くらい前にパリのスーパーマーケットで飲み物を買おうとしたとき、おしゃれなジュースを見つけました。

小さな牛乳瓶のさらに半分くらいの大きさのビンに100%果汁ジュースが入っています。そして、量が少ないのに350円くらいの価格がついているのです。

フランスでは割と定番のものらしくて、いろいろなメーカーが同じサイズでジュースを出しているのですが、その中でとあるメーカーのものだけ、毛糸でつくった正ちゃん帽をビンのキャップにかぶせてありました。

それがあまりにも可愛かったので「高いなあ」と感じながらも、思わず手に取って買ってしまいました。これが遊び力をビジネスに活かすということなのだなと後から思いました。

ジュースですから、当然冷蔵庫の中に入っているわけです。冷蔵庫の中は冷たいから、毛糸の帽子をかぶせてあげようというユーモアです。

喉が渇いたから何か飲み物を買おうと思ったときに、売り場にいけばその選択肢は無数にあります。また果汁100%ジュースを飲みたいと思ったときだって、味や量などさまざまなバリエーションがあります。

ですから、ジュースの美味しさとか機能性とか、そんなところを追求しても選びようがありません。実際、コーヒーでも買おうかとコンビニに入っても、どれも美味しいしどれでもいいやと思う人がほとんどでしょう。

そんなときに、本来の目的とは違う遊び力が付加されたビンのジュースは、私自身がつい買ってしまったように、消費者の購買意欲をくすぐることができます。

私たちも、絵を売るときには、遊び心を大切にしたいと考えています。

特に日本は、大きい絵よりも小さい絵、多彩なバリエーションの小品が好まれるなど、遊び心のある文化を持っています。

元国土交通官僚の竹村公太郎さんによれば、日本は国土の75%が山地で大きな道路が造れなかったために、大きな車輪をもった馬車などが発達しなかったそうです。

そして、馬を引いて徒歩で山道を越えるような移動手段しかなかったために、持ち運ぶものを小さくする必要ができて、小田原提灯とか扇子とか、折りたためてコンパクトになるものが発達したそうです。

ですから、日本人が好むものは印籠とか根付とか小さい物が多いようです。

また、江戸で火事になったときは、木造の家ではもう火を消すことはできないから、建物を壊して延焼を防ぐことが火消し(消防団)の仕事だと聞きました。

江戸時代は3年に1度は大火事が起きるほど火事が多くて、そうなると家財道具一式が燃えてしまいますから、いざというときに持ち出せるものは小さくまとめておいて、その他のものは燃えても仕方がないと諦めていたそうです。

それが、江戸っ子の「宵越しの金は持たねえ」という気風の良さにもつながっているのですが、いずれにしろ日本では、思い出の品にしろ財産にしろ、小さい物が好まれていたのです。

小さいものに価値を見出す文化は、今でも若い子に人気の「かわいい」という言葉に象徴されています。

「かわいい」とか「うぶ」とか「ナイーヴ」といった言葉を肯定的にとらえるのは日本独特の文化で、欧米では、それらは「未熟」「半人前」というネガティブなイメージと重なるそうです。

ですから、日本では特に、ビジネスに遊び心を活かす余地が大きいと思います。

晩年の藤田嗣治も0号から3号サイズの小品をたくさん制作しました。

これは子供のいなかった藤田が、自分が死んだ後、二回りも年下の君代夫人がたった一人残されることになるので、生活費に困らないようにすぐに売れる手離れの良い商品をたくさん描き残したと言われています。

藤田嗣治の、奥様に対する愛情がよく伝わってくる、私の大好きなエピソードです。ちなみに、それらの絵は「君代コレクション」と呼ばれています。

フランスの美術教育は「遊び力」に満ちている

2007年に森ビルが東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、上海の五都市で行った「国際都市アート意識調査」によれば、東京の18歳以上の学生・社会人が美術館に行く回数は年間1・9回であり、五都市の中で最も少ない回数でした。

これだけ美術館が充実していて、大規模な美術展が開かれている東京ですら、ロンドン市民(年間3・9回)の半分以下だったのです。

どうやら、私たち日本人はそれほどアートが好きな国民ではないのかもしれません。というより、アートに対して妙な遠慮があるようです。

同じ調査で「何をもとめて美術館に行きますか」という問いかけをした結果、パリでは「教養」、ロンドンとニューヨークでは「非日常的な刺激」という回答が多かったのに対し、東京では「気分転換」という回答が多数を占めました。

美術館に行くという行為が、何らかの刺激を求めるというよりも、散歩や散策と同じ感覚で受けとめられていることがわかります。

これは、日本の美術教育が「感じたことを言葉にして楽しむ」ことを教えず、「それぞれが目で見て漠然と感じる」ことばかりを教えてきた弊害ではないかと思います。

以前、フランスで小学校の先生をしていた画家と話す機会があり、フランスの美術教育について教えていただきました。

フランスでは小学校まで美術の成績は付けないそうです。

そして、授業では実際に美術館へ行って絵を見ながら、どう感じたかを話し合ったり、その絵を見て思ったことを自分だったらどんな風に表現するか、それを絵にしてみましょうといって絵を描かせたりするのだそうです。

そのような授業を通して、アートに興味を持ってもらうこと、好きになってもらうことを目的とした教育が行われているのです。

フランスに限らずヨーロッパでは、子供のうちから芸術に触れる機会を増やす教育がされています。なぜならば「芸術に触れて素直に感動できる気持ちが育まれれば、人生は豊かになる」という教養主義の考え方があるからです。

今では世界中で、芸術は情操教育に役立つものだと広く認識されています。

アートを好きなお客様は「遊び力」を持っている

私たちのお客様には経済的にも精神的にもゆとりのある方が多くいらっしゃいます。あるいは経済的にはゆとりがなくても、できる範囲で一生懸命アートを集められる方もいます。

私の見るところ、そのような方たちは「遊び力」に満ちています。

非常に子供みたいなところがある反面、研究熱心で、次は頑張ってあれを買いたいと、アート作品を買うことが楽しくて仕方がないといった調子で、嬉々として購入されるのです。

そのような方たちは好奇心も旺盛でアートのことをよく勉強されているので、私たちも負けずに勉強せねばと刺激になります。

なにしろ画廊に来るときも新しい情報を求めているので、私たちが情報提供できなければ呆れて他の画廊に行ってしまいます。

逆にきちんと情報提供できると、相手もいろいろなお話を聞かせてくれるので、ずいぶんと教わることが多くて、私たちの成長にもなります。

その方たちは「遊び力」があって前向きに生きているので、会ってお話をしていても楽しいのです。

ですから、こちらも負けずにいろいろなところに旅行に行ったり、勉強したりして一生懸命ネタを作ります。そうすると会話が盛り上がって、良い関係性がつくられていきます。
 

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髙橋芳郎
株式会社ブリュッケ代表取締役。1961 年、愛媛県出身。地元の高校を卒業後、1979 年、多摩美術大学彫刻家に入学。1983 年、現代美術の専門学校B ゼミに入塾。1985 年、株式会社アートライフに入社。1988 年、退社、独立。1990 年5 月、株式会社ブリュッケを設立。その後、銀座に故郷の四国の秀峰の名を取った「翠波画廊」をオープンする。2017 年5 月、フランス近代絵画の値段を切り口にした『値段で読み解く魅惑のフランス近代絵画』(幻冬舎)を出版。
 

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