技術革新で重要なのは一番乗りより普及過程
おまけに、ある技術革新がどこでだれによっておこなわれたかと、どこの国のどんな企業が実用化に成功したかも、ほとんど関係ありません。
IBMは今でも毎年の特許取得数ランキングでは上位の常連ですが、メインフレームコンピューターのガリバー型寡占企業だったころと比べると、見る影もないほど衰退しています。
ほんとうに画期的な技術革新は、どこのだれが開発したものであれ、ライセンス料を払ってでもうまく使いこなした企業に最大の恩恵をもたらすものです。
ときにはライセンス料も払わずに盗用した企業が大儲けすることもあります。
これは有名な話ですが、マイクロソフトのPC用オペレーションソフトは、ゼロックス社のパロアルト研究所から盗用したアイデアですし、オフィス用アプリパッケージのウィンドーズシリーズは他社から買収した技術を寄せ集めたものです。
さらに、統一された設計思想でさまざまな機能を切れ目なくこなすアップルの画期的なオペレーションソフトもまた、ゼロックス社パロアルト研究所の成果を盗んだものです。
また、仮に技術革新に天才の果たす役割が大きかったとしても、天才は育てようとして育つものではありません。
むしろ、神童と呼ばれるような子どもたちに早くから英才教育を施して天才に育て上げるという試みは、ハーバード大学を最年少かつ最優秀成績で卒業したウィリアム・ジェームズ・サイディスを始めとして、惨めな失敗に終わったケースのほうが、成功例よりはるかに多いのです。
天才の出現は、ある意味で天災の勃発と似ていて、いつどこで起きるかわからない偶発事象だと思います。
そして、天才はもともと凡人にはできないようなことができる人なので、わざわざ育てようとか、出現したらできるだけ優遇してやろうなどと考える必要などなく、いわば勝手に育ってくれるものだとも思っています。
生まれつきの天才にこの国に住みたいと思ってもらえるような国にすることは、ある程度まで可能でしょう。
実際にアメリカの一流大学は、こぞって世界中から優秀な学生を大学院レベルで招き入れています。
経済効率を上げたければ高等教育より初中等教育の充実を
ただ、知識産業の経済学的解明の先駆者、フリッツ・マハループが力説したように、GDP成長率などと有意な相関を示すのは、初中等教育の水準であって、高等教育の優劣はほとんどGDPに影響を及ぼしません。
つまり、一国の経済力を決めるのは、オフィスで企業戦略を立てるスタッフではなく、工場や店舗で生産活動の第1線に携わるラインワーカーだということです。
これはアメリカの知的エリートたちにはなかなか受け入れがたいことなので、今に至っても無視されつづけている実証経済学の成果のひとつです。
そして、初中等教育、とくに公立小中学校の充実度で言えば、日本は間違いなく世界の一流国であり、アメリカは先進諸国の中で最低グループに属しています。

日本でさまざまなデータを使った国際比較を見ると、「日本は諸外国に比べて遅れている」という結論を出すことは始めから決まっていて、この結論に達するためになかなか手のこんだ論理のアクロバットを演じて見せてくれます。
上の表を見れば日本の学童たち、中学生たちの理数系の成績は間違いなくトップクラスです。
でも、「日本は遅れている。早く手を打たないと取り返しがつかなくなる」と言いたいので、算数・数学や理科の学習が楽しいか、得意かといった主観的な評価が低いことを問題にしています。
もちろん、日本の子どもたちの中で比べれば、楽しく勉強できて得意と思っている子どもたちのほうが実際に成績もいいでしょう。
でも、外国の子どもたちと比べて自信がないことを気にする必要はまったくありません。
むしろ、外国の子どもたちの「数学は楽しい」とか「得意だ」という自己評価は、ほとんど根拠のない過剰な自信であり、日本の子どもたちの控えめな自己評価は目標設定が高いからだと考えるべきです。

日本から参加した学童生徒の平均点は、2003年の中学2年生の理科で6位に落ちた以外は、ずっと5位以内に入っています。
それでも、勉強が楽しいかという質問に「はい」と答えた比率は一貫して、国際平均よりずっと低いのです。
とくに、中学生になって習得すべき課題がむずかしくなるにつれて、日本から参加した子どもたちの平均値は国際的な平均値より大幅に低くなっています。
ご質問4 韓国や中国では壮絶な学歴社会で、それがエリートの大衆を導いてやるのだというメンタルにつながっているのではと思いますが、欧米もやはり似たような感じなのでしょうか?
お答え4 これはむしろ、正反対でしょう。先ほどご覧いただいた黄緑色に塗られた表でもおわかりのように、初中等教育の成績がいいのは圧倒的に東アジア諸国です。
ただ、韓国の場合、小学校段階からきびしい競争と選別にさらされているために、中学校の段階でもう競争から脱落して順位が下がる傾向が出てくるように思います。
大学入試でもきびしい受験勉強に耐えて一流校に入り、さらに就職時には英語の能力でまたふるいにかけられてといった子ども時代を過ごしていると聞きます。
成績のいい子どもたちほど教育を受けているあいだ中詰めこみに次ぐ詰めこみで、日本の学生の大学在学中のようなモラトリアム的な時期もほとんどないようです。
そのきびしい競争を生き抜いた優秀な学生であれば、たしかにエリート意識も持つでしょう。反面、挫折してどこかで成績競争の落伍者になると、自殺のような痛ましいことにもなるのだと思います。
この点に関しては、アメリカの大学で3年間だけ経済学を教えた経験から言いますと、公立の小中学校を出たアメリカの子どもたちは、とんでもなく高い自己評価を持って大学に入ってきます。
「数学は論理が明快で、正解・不正解がはっきりわかるから好きだ」という学生に小さな数を大きな数で割る計算をさせると、それがわかります。
たいていの学生が、小数点以下何桁ゼロがあってから意味のある数字が出てくるかといったことさえ、論理的に考えることができず当てずっぽうの答えを出すからです。
日本の子どもたちなら、ほとんどが小学校のうちに理解しているはずのことが大学生になってもわからないのです。
そして、とくに公立の小中学校の場合、とにかく授業に興味を持ってもらおうと面倒くさいことを省いて、おもしろおかしく教えて、ちょっとでも出来のいい子はまるで神童のようにほめそやすようです。
だから、基本的なことが理解できていないのに、口だけは達者で立派なことを言う、まったく現実離れした自己評価を持って大学に進学してしまう子どもたちが多いわけです。
さすがに、小中学校から私立のエリート校で学んで一流大学に入った富裕層の子弟はそこまで基本的な理解に欠けているケースはあまりないようです。
ただ、それだけ親はふつうの勤め人や工場労働者でも、自分の努力で知的エリートにのし上がったという人は少なくなっているはずです。
つまり、現代アメリカは日本だけではなく、中国や韓国と比べても世代間の階層が固定している閉塞的な社会だと言えそうです。
ご質問5 日本ではコロナ対策の助成金詐欺や煽り運転、ネット上の誹謗中傷など民度の低い連中がいるなと辟易するのですが、日本は大衆の平均レベルが高いと言えるのでしょうか?認知バイアスの問題で悪く見えるだけでしょうか?
お答え5 大衆はもちろん、いろんな人たちがいます。日本の大衆については悪いところばかりを見て、欧米については大衆がどんなに知的にも情緒的にも貧しい生活をしているかを見なければ、日本の大衆が優秀だと思えないのは当然だと思います。
コロナ対策の詐欺で言えば、政府がワクチン接種を強制しているような国は、権力を握っている知的エリートたちが製薬資本やゲイツ財団の丸抱えになって壮大な規模で詐欺行為をやっているのも同然です。
煽り運転はもちろん悪質な犯罪ですが、わずかなはしたガネのために平然と人を殺す人間が大勢いる国より劣っている証拠だとは思いません。
日本でのネット上の誹謗中傷は、直接面と向かって言えないことをネットでなら言えるという臆病な人間のすることでしょう。どんなに不愉快でも大した実害の出ることではありません。
今、ドイツではワクチン未接種者の自宅を調べ上げて、その家の壁一面にペンキで「ワクチン未接種者はガス室送りにしろ」という落書きを書く連中がいます。しかも、ドイツ政府は、その連中よりワクチン未接種者のほうを非難するという醜態をさらけ出しているのです。