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第2旧居は合羽町…ってどこ
第三旧居は大江村 現在は水前寺成趣園近くに移築
第2旧居は合羽町…ってどこ

(画像=『肥後ジャーナル』より引用)
続いて訪れたのは坪井の八雲通と呼ばれる通り。
第2旧居は合羽町にあったとされますが、どこか分からず調べると今の坪井2丁目9番地辺りだそう。近くには公園とかありましたが、旧居はすでに残っていません。
初年度の9月下旬にはここに越してきたそうです。
しかしここの家は西南の役の後、急ごしらえで建てた家で使い勝手が悪い上に家賃も高かったらしくトドメに妻・鏡子が「下宿屋みたい」と嫌って、1年ほどした明治30年の9月頃に引っ越していったそうです。
ここの引っ越しポイントは「使い勝手悪いし家賃高い!そして下宿屋みたいな家は妻が嫌がった」です。やはり一緒に暮らす女性の意見は大切ですね。
第三旧居は大江村 現在は水前寺成趣園近くに移築

(画像=『肥後ジャーナル』より引用)
続いては、明治30年の9月から住んでいたとされる大江村の第三旧居。今の新屋敷です。
住所を頼りに行ってみると、サーパスが建っていました。漱石すごいとこ住んでた?…という訳ではなく、現在ここにあった第三旧居は水前寺成趣園の近くに移築されていて当時の姿を見ることができます。
立地も家賃も漱石、妻・鏡子ともにすごく気に入っていたそうですが、実は知り合いが留守にしていた間、家を借りてたので、半年後の明治31年3月に家主が戻ってくると共に退去せざるを得なくなったそう。
つまり「留守宅を借りると家主が帰ってきたときに出なきゃ行けなくなる」というのがポイント。長く住みたいのであれば、引っ越し先に留守宅は避けた方が良さそうですね。