政府は外国から多くの人がやってくることを基本的に推し進める中、日本の文化伝統のみならず生活一般が影響を受け過ぎて維持できないという議論があります。では日本にいる外国人を排斥したいのか、といえばそういう考えの方もいらっしゃいますが、主流ともいえません。なぜなら日々の生活において外国人なしに日本の社会がもはや成り立たなくなりつつあるのです。

私はこの問題に入る前に戦後の日本の発展を一瞬だけ振り返ってみたいのです。今、70代ぐらいの方には現役時代、外国にモノを輸出することを商売として謳歌された方は多いでしょう。直接的、間接的いろいろあるでしょうけれど日本の高度経済発展において輸出が果たした役割は大きいのは誰もが認めるところです。しかし、その頃、日本に来る外国人は少なかったのです。つまり一方通行で日本だけがおいしい思いをしてきたとしても過言ではありません。

バブル崩壊後、日本の社会は大きく変貌します。様々な社会の慣習が逆転する、そんな状態になります。特に私が気になっているのは「社会の成熟化に伴う若者の変化」であります。生まれた瞬間から一定程度の社会生活レベルがあり、周りに貧困は少なく、消費社会は進化の一途を辿ります。そのような生活環境で育った子供たちに3Kの仕事をして欲しいと言ってもできないでしょう。それをするなら「ぷー太郎」の方が良いというほどなのです。

すると多くの重労働、長時間労働は高齢者頼みになります。しかし、いくら長寿の国とはいえ、限界があるのです。そして一生懸命働くことをいとわない高齢の労働者たちも続々リタイアする年齢にあります。ならば日本のコメは誰が作るのか、漁船に乗って魚は誰が獲るのか、大工は誰ができるのか、介護士は足りるのか、居酒屋に行っても注文したものがなかなか来ないことに耐えられるか、などいくらでも問題は起こりうるのです。

これをお読みの方は私の基本的思想をご存じだと思います。ただ勘違いしてほしくないのは私は無条件に開国せよとは一言も申し上げていないのです。なぜなら私はカナダに住み、就業を許される為に自分をカナダのやり方に合わせたことをよく知っているからです。「郷に入れば郷に従え」なのです。私はカナダに来た当時よく言われたのが「カナダにはカナダのやり方がある」「ここは日本ではない」という言葉でした。