しかし現実には、浮体式は世界的にまだ実証段階で、建設費や維持費は固定式よりもさらに高額だ。経済性が確立していないどころか、商業化にはなお長い道のりがある。
「島国日本が浮体式で世界をリードできる」というのは、希望的観測にすぎない。にもかかわらず、この幻想が「次の成長産業」として政治的に利用されている。
産業・政治の既得権益
洋上風力は単なる発電事業ではなく、広範な既得権益構造を生み出している。港湾建設、ゼネコン、重電メーカー、商社、そして地方自治体。多くのステークホルダーが参入し、「新しい公共事業」として利益分配の場になっている。
政治家にとっては地元振興や票田対策に直結し、経産官僚には「成長戦略の実績」となる。このため、合理性を失っても止められない。日本の再エネ政策は「公共事業化」している。
欧米追随と国際イメージ
さらに、日本特有の心理がある。それは「欧米に遅れてはならない」というキャッチアップ思考だ。欧米で撤退が広がっている現実があっても、日本では「彼らは一時的に失敗しているだけ、日本こそ先進国の責務を果たすべきだ」と逆に推進力に転換されてしまう。
国際的なESG投資がすでに下火となり、米国ではESGファンドからの資金流出が続いている。しかし日本では「なお世界の潮流に乗らなければ」という物語が繰り返され、政策正当化の口実に使われている。
判断力なき推進の果てに
以上を整理すると、日本の洋上風力推進は、
国策としての慣性 FCOEを無視した議論 浮体式への幻想 政治・産業の既得権益 欧米追随と国際イメージ
これらが複雑に絡み合って「やめられない」状況を生み出していることが分かる。三菱商事の撤退は、まさにこの矛盾が顕在化した象徴的な出来事であろう。
米国や欧州が経済合理性を優先して撤退を選ぶ一方で、日本だけが「判断力なき推進」を続ければ、最終的に跳ね返ってくるのは国民負担の増大と産業競争力の低下である。洋上風力は本当に日本の未来を切り開くのか、それとも幻想にすぎないのか。冷静な検証がいま求められている。