8時間の解体作業と消えた遺体
犯行後、黄はレストランに鍵をかけ、店内に泊まり込んだ。そして翌朝から、約8時間かけて10人の遺体をバラバラに解体するという、常軌を逸した作業に取り掛かった。身元が判明しないよう、指紋を削ぎ落とすという用意周到さも見せている。
切断された遺体の一部は、黒いビニール袋に詰められ、数回に分けてゴミ収集車に紛れ込ませて遺棄。残りは海へと捨てられた。この完璧な証拠隠滅により、鄭林一家は文字通り「忽然と姿を消した」のである。
乗っ取られたレストランと海辺に打ち上げられた“体の一部”
鄭一家が忽然と姿を消した後、黄志恒は何食わぬ顔で八仙飯店の経営を引き継いだ。彼は「一家は本土に引っ越した」と周囲に説明し、新しい店主として振る舞い始めた。
しかし、惨劇から約1年後の1986年4月、事態は急展開を迎える。鄭林の弟が、兄一家と全く連絡が取れないことを不審に思い、マカオ警察に捜索願の手紙を送ったのだ。その手紙が、警察の本格的な捜査のきっかけとなった。
警察の捜査線上に黄が浮かび上がるのと時を同じくして、1985年8月8日、マカオのハクサビーチで海水浴客によって複数の人間の手足が発見されていたことが明らかになる。手足の切断面は非常に整っており、何者かが故意に切断したことは明らかだった。警察は、このバラバラの遺体と鄭一家の失踪に関連があると見て、捜査を本格化させた。
警察が黄を捜査すると、彼が鄭林名義の銀行口座から金を引き出したり、不動産を所有したりしていることが判明。1986年9月28日、黄は本土へ逃亡しようとしたところを逮捕された。

“人肉饅頭”伝説の誕生 ― マスコミが煽った恐怖
逮捕後、黄は当初犯行を否認していたが、拘留中に警察に宛てた手紙の中で自らの罪を告白した。
しかし、彼の公式な自白の中に「人肉を饅頭にした」という供述は一切なかった。にもかかわらず、10人もの人間が解体され、その遺体のほとんどが見つからないという事件の異常性と、香港・マカオのマスコミによる扇情的な報道が結びつき、「黄は、証拠隠滅のために一家の肉を饅頭にして客に出したのではないか」という、おぞましい都市伝説が生まれてしまったのだ。この伝説はあまりに衝撃的で、後に香港で映画『八仙飯店之人肉饅頭』が製作されるなど、中華圏全体に広まっていった。