スペイン風邪は1918年から1920年にかけて世界中を襲い、推定で2,000万人から最大1億人もの命を奪ったと言われています。

ヨーロッパの小国であるスイスでも、その被害は甚大でした。

当時のスイスの人口はわずか400万人ほどでしたが、国民の約3分の2が感染したと推定されています。

(※そのうち約2万5千人が命を落としたとされています)

さらにスペイン風邪は一度きりの流行で収まらず、大きな波が三度も繰り返し押し寄せました。

特に第2波では若い世代を中心に多くの犠牲者が出て、社会に深い傷を残しました。

しかし、こうした恐るべき被害にもかかわらず、当時の医学では原因となる病原体を特定することはできませんでした。

その理由はシンプルです。

現在でこそ私たちはウイルスを分離し、培養して研究できる技術を持っていますが、1918年当時にはその技術が存在しなかったのです。

つまり、原因となったウイルスそのものが何であったかさえ正確に分からないまま、多くの人々が命を落としていったのです。

時代が進み、医学や遺伝子解析技術が発達するにつれて、科学者たちは徐々にこの謎を解き明かそうとしてきました。

1990年代から2000年代初頭にかけて、科学者たちは北米やヨーロッパで保管されていた歴史的な患者の病理標本を用いて、ウイルスの痕跡を探し始めました。

そしてついに2005年、アラスカで永久凍土の中に眠っていた犠牲者の遺体などから、初めてスペイン風邪ウイルスのゲノム情報が明らかにされました。

しかし、それ以降もゲノム解析に成功した例は非常に少なく、特にヨーロッパでは数えるほどしかありませんでした。

こうした状況の原因は、ウイルスの遺伝物質がDNAではなく「RNA」であることにあります。

RNAはDNAに比べて非常に不安定で、時間が経つにつれて簡単に壊れてしまいます。

さらに当時の病理標本は、組織を長期保存するためにホルマリンという薬品で処理されていました。