自分の意見に自信があって、AIをその作業の補助に使っただけなら、わざわざAIを使ったことなど言わなくてもいいと思うけど、なぜ皆さん、道具として使ったAIが作業に絡んでいた、というだけでなく、AIが中心となって作ったように言いたがるのだろうか。
ちょっと表現が冗長で、もっといい書き方もあると思うが、「データとしてAIを利用して検討した結果、私の意見はこうです」という投稿ならわかるし、「AIとやり取りやAIの分析を利用して、私の意見はこうまとめました」「AIの答にヒントを得て考えてみました」というならアゴラの投稿も読みたい。
「AIとの議論の中で、以下のような分析をまとめることができた」とか、「私はこう思うが、AIで調べた巷の意見はこうである」というのもうまくAIを活用されていると思う。忖度させたものでなければ、「AIの集計結果はこうである」というのもいいであろう。
しかし、何度も言うが、単に「AIに聞いてみました」「AIと会話してみました」「AIはこう言っています」という書き出しの投稿は、アホな私には、いかに本文の後半でご自分の意見を述べておられようとも、書き出しで「最大多数とも思えない無責任な声の集約を述べています」「忖度させて作ったものをAIに責任転嫁して述べています」と書いてあるようにしか感じないので、それ以上読む気力が湧かないのである。
書き方はいろいろあるだろうが、「AIの答はこうです」という意味の書き出しの投稿者の方には、ぜひ、そう書かずに、ご自分の意見であると明言した上で今まで以上に有意義な文章を投稿いただき、私の誤解を解いていただきたい。
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田中 奏歌 某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て、現在は隠居生活。