そういうレベルであると認識した上で、最近アゴラの記事に多い「(単純に)AIに聞いてみました」「(無批判に)AIにファクトチェックしてもらいました」という投稿について考えると、私には、投稿者の意見として読む価値がある、とは思えないのである。
もちろんAIにはAIの得意な分野があり、ちゃんとした意見があればそれをうまくまとめてくれたり、諸元があれば、参考文献の検索はしやすいかもしれない(最近はそれすら捏造するAIもあるらしいが…)。自分が気がつかなかった考えを知る、ということもできよう。データ分析も得意である。AIの利点は多々ある。決してAIの使用を否定しているわけではない。これからもどんどん使用されるであろう、と思ってはいる。
なので、AIの限界を認識したうえならば、AIを議事録作成だけでなく、広範囲に仕事に使うことはまったくもっておかしくないし、生活に応用することもいいだろう。学習に使うことも直接的な答案を求めるのでなければありと思う。
どなたかがアゴラで「AIは家来として使うもので、家来になってはならんのです」とおっしゃっていたのはそのとおりだと思う。
しかし、先に述べたような回答がAIの今のレベルであるならば、AIを道具として使ったほとんどの投稿がそれなりに完成されたものであったとしても、いくつかの投稿がいい加減なやりとりに基づいたものかもしれないと思った時点で「(単純に)AIに聞いてみました」という投稿に読む価値を感じないのである。
そもそもアゴラって、さまざまな人の「意見」を読むものではないですか?それが面白いし、役に立つのですよ。
実際にはAIを使って自分の意見を忖度させた結果を投稿したものであっても、単に「AIに聞いてみました」「AIと会話してみました」「AIはこう言っています」という書き出しの投稿を、申し訳ないが、私はまともに読む気にはなれない。
そういう書き出しの投稿は、自分の意見の弱さに対する責任回避としか思えないので、(ひょっとしたらその方の投稿をよく読むと、きちんと自分の意見が書かれていようとも)それ以上頭に入ってこないのである。