一方で「芸術だからといって裸像が公共の場に多くあるのは不適切だ」という声もあり、議論は平行線をたどっています。また、亜細亜大学の高山陽子教授が「公共空間に女性の裸像が多く設置されているのは日本だけで、欧州やアジアでは美術館や庭園に限られる」と断定しています。

参照:街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き、各地で…小学生「見ていて恥ずかしくなる」 読売新聞

しかしそれに対し、上記の発言のように古市憲寿氏らが「ローマやパリ、ブリュッセルといった欧州都市の中心部にも裸婦像は存在するし、アジアの寺院にも裸の女性像は普通に描かれている」と反論するなど、学術的な信用問題にも発展しています。さらに「公共空間」の定義をめぐっても意見が割れ、庭園を含むのかどうかといった点も論争になっています。

また、裸婦像を撤去する動きは、ホームレスや外来種、子どもの歓声など「不快」とされる存在を公共の場から排除する流れの一部との指摘もみられます。