広陵高校が出場辞退となった今回の事件について、談合でお互いをかばい合ってカルテルを維持してきたマスゴミは一斉に「SNSが悪い」という話にすり替えてきました。

SNSの問題どうこうじゃないでしょう。

国民を騙して世論をミスリードして自分達に都合の悪い話からは逸らすのだということをオールドメディアはお得意の談合でもってやっています。

これまでは日本の情報空間はオールドメディアが支配してきました。

それによって問題のない発言、歴史的事実を踏まえた発言をしても、オールドメディアと左翼の談合によって言論弾圧をされ、社会的に抹殺されるなどしてきましたし、政治も繰り返しねじ曲げられてきたと言ってよいでしょう。

昭和16年に始まった日本帝国の無謀な作戦も、当時のマスゴミが世論を煽りに煽っていた事情も大きいと思います。

自浄能力のない、国民扇動装置による支配体制に穴が空き、オールドメディアお得意の報道しない自由による隠蔽に対抗する。

SNSの登場によってオールドメディアの支配に穴が開いたのです。

SNSだってオールドメディアの情報だって玉石混淆。

嘘を嘘と見抜く見識と冷静さが各自に問われていることに変わりはありません。

日本ではこれまでマスゴミと左翼が言論空間を支配していたため、日本人は生まれながらにして永遠に謝罪し続けなければならない罪の民という刷り込みが繰り返し行われてきました。

安倍晋三総理が出した70年談話というのは非常に大きな意味を持っています。

悪しき村山談話にもピリオドを打ちつつ、私達の子や孫、将来の日本人までも永遠に罪人として謝罪し続け、下を向いて生き続けなければならないという日本と日本人の心を破壊するための呪詛を毎年繰り返し唱えさせられることからの解放となっているからです。

石破茂や村上誠一郎のように、オールドメディアと左翼が刷り込んできた戦後の反日自虐史観をそれこそが正しいと無批判に受け入れることで優秀な生徒として教師やメディアに持ち上げられて得意になってきたであろう人達には、安倍晋三総理の70年談話の意味など理解できないでしょう。