中国鏡(寺沢薫氏)
メディアにもよく登場する寺沢薫さん(纒向学研究センター)は、箸墓は土器様式の布留0式期※の築造とします。寺沢さんは他の布留0式期の古墳(福岡県津古生掛古墳など)に副葬されていた鏡が、中国で3世紀第2四半期に製作されたと推定します。
寺沢さんは、中国鏡の流入には朝鮮半島の出先機関(楽浪郡)の介在があり、外交交渉も間断なく行われたとは限らないことから、津古生掛古墳の鏡の副葬は、3世紀第3四半期でも後半を見込むのが適切だとします。箸墓は卑弥呼の墓ではなく、台与の後の男王の墓ではないかと推定しています。
しかし、鏡が製作されてから、日本列島に流入し、祭祀などに使用され、古墳に副葬されるまでの期間は様々だったはずで、絞り込みようがありません。寺沢さんが3世紀第3四半期後半と特定する根拠もわかりません。そもそも中国鏡の製作年代も年号銘がなければ特定できないことが多いです。中国鏡も、箸墓の3世紀第3四半期の確かな根拠にはなりません。
※ 弥生終末期(3世紀)の土器様式は、庄内式→布留式と区分されています。
以上のように、箸墓の年代が3世紀中頃から第3四半期には十分な根拠はありません。僕が歴博とは別の炭素14年代のモデルを組んで推定したところ、箸墓は300年前後になりました。記事を改めて紹介したいと思います。
※ 僕の2022年のアゴラ記事では、歴博の炭素14年代と寺沢さんの中国鏡の根拠について紹介しましたが、今回はさらに三角縁神獣鏡の根拠を加筆しました。
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浦野 文孝 千葉市在住、古代史に関心のある一般市民。