歴博は纒向遺跡周辺から出土した57試料(土器外面煤、種実など)の前後関係からモデルを組み、OxCalを使って全体の年代をベイズ推定しました。その結果、箸墓周濠小枝は234~262年に絞り込まれましたから、歴博の発表が間違いということはありません。
しかし、試料の元の年代とベイズ推定後の年代の統計学的適合度(一致度)は、全体で16%にとどまりました。適合度は本来60%以上が求められます。60%を下回っても直ちに間違いということはありませんが、気になるのは、適合度が低い試料が纒向にある東田大塚古墳からの出土物に集中していることです。
歴博の年代推定では、箸墓と東田大塚の前後関係が重要な役割を果たしています(箸墓の年代を東田大塚の築造中と周濠埋没後の間とする)。歴博のモデルが不適切だったことは明らかで、根拠は破綻しています。歴博の年代推定はモデルの再検討が必要です。
三角縁神獣鏡(福永信哉氏・岸本直文氏)
鏡を専門とする福永信哉さん(元・大阪大学)は、三角縁神獣鏡の製作年代を、文様によって古い段階(240年代)と新しい段階(260年代)に分けました。箸墓は三角縁神獣鏡の有無は不明です。岸本直文さん(大阪公立大学)は、箸墓と同じように前方部がバチ形に開く古墳(兵庫県西求女塚古墳など)は古い段階の三角縁神獣鏡を持つことから、箸墓を含むバチ形の古墳は240年代と推定しました。
しかし、バチ形の古墳には新しい段階の三角縁神獣鏡を持つ事例もあります(京都府椿井大塚山古墳など)。バチ形の古墳だからといって、240年代とは特定できません。
そもそも、三角縁神獣鏡の出現年代が疑問です。箸墓に隣接するホケノ山古墳では、中国で230~250年に製作された画文帯神獣鏡(破鏡)が出土しました。ホケノ山に副葬されるまでの期間は特定できませんが、ホケノ山の年代は早くても250年以降になる可能性が高いです。
一方、ホケノ山には三角縁神獣鏡はなく、ホケノ山の年代には三角縁神獣鏡は出現していなかったことを示します。三角縁神獣鏡が240年代に出現していたという推定には無理があります。福永さん、岸本さんの説は前提が間違っていると言えます。

三角縁神獣鏡(奈良県黒塚古墳8号鏡/橿原考古学研究所付属博物館展示)