しかし天候は急速に悪化し、数分で吹雪に近い状況へ。

ストークス氏は標識と山座同定で位置を把握しようとしましたが、飛雪で視界はほとんどきかず、二次災害のリスクも高まります。

彼らはそれでも捜索を続け、約12時間後に現場を再特定しましたが、生存は望めませんでした。

こうしたクレバス救助は、ロープの取り方一つ、装備の選択一つが生命を左右します。

あのとき、ベルトではなく体幹を回すハーネス状の結索ができていれば——。

結果論でしかない“もしも”ですが、極地の現場では、わずかな判断の差が取り返しのつかない帰結につながることを、今回の記録は静かに示しています。

今回の発見は、単なる身元確認の達成ではありません。

過酷な環境で観測と探検に携わった若い科学者の生と死、そして彼を想い続けた家族と仲間の時間に、ようやく区切りを与える出来事です。

氷は溶け、岩が露わになり、遺品が姿を見せました。

南極の大地は、長い歳月ののちに物語を返してくれたのです。

ベル氏の名を冠したキングジョージ島の「ベル岬」は、これからも彼の名とともに残ります。

遺族は今後、彼の記憶をいかに刻むかを決める予定です。

南極科学の歴史には、数字や記録だけでは語り尽くせない人の営みが確かにあり、その物語は今も静かに続いています。

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参考文献

Remains of British researcher lost in 1959 recovered from Antarctic glacier
https://www.bas.ac.uk/media-post/remains-of-british-researcher-lost-in-1959-recovered-from-antarctic-glacier/

Body of scientist lost in 1959 found in Antarctica
https://www.popsci.com/science/found-body-dennis-bell-antarctica/