発見後、遺骨はBASの王立調査船「サー・デイビッド・アッテンボロー号」でフォークランド諸島へ運ばれ、英国南極地域の検視官に引き渡されました。

その後、空軍の支援のもとロンドンまで搬送され、正式な手続きが進められています。

BASのジェーン・フランシス局長は「これは私たちにとって感慨深い瞬間です。過酷な条件下で南極の初期科学と探検に貢献した隊員の一人であるベル氏の物語に、区切りを与える発見です」と声明を発表しました。

デニス・ベルとは何者だったのか?

デニス・ベル氏はロンドン北西部ハロウで育ち、三きょうだいの長男でした。

身の回りの機械を整備し、写真を撮れば自ら現像までこなすなど、「手を動かして解決する」若き技術者気質の持ち主でした。

無線機を一から自作し、長時間にわたりモールス信号を傍受・解読することも楽しんでいたといいます。

演劇やスカウト活動、そして家族や友人とともに過ごす食事の時間を何より大切にし、一方で組織的なスポーツにはあまり関心を示さなかったという人柄です。

学校卒業後は短期間の保険業務を経て、国家奉仕で英国空軍に入隊。

無線通信士として訓練を受けたのち、さらなる冒険を求めて1958年にフォークランド諸島属領調査隊(FIDS:現BASの前身)へ参加し、気象学者としてキングジョージ島のアドミラルティ湾にある小規模基地へ派遣されました。

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ベル氏が駐在していた場所(1951年撮影)/ Credit: British Antarctic Survey(2025)

キングジョージ島は南極半島北岸から約120キロ沖に位置し、山頂は約800メートルに達します。

島は広く氷で覆われ、アドミラルティ湾は長さ約20キロ・幅約5キロの入江で、周囲を山々に抱かれ、海は年の大半(9か月)氷に閉ざされます。

限られた人員・資材で任務を継続する彼らにとって、互いの技量と信頼は生命線でした。

基地では、ベル氏の「大きな人柄」とユーモアが仲間の支えになっていました。