就職先でもエリートたちとの熾烈な競争があるし、独立しても競合他社との競争が待っている。しかも「競争」は実家が多少お金持ち、という程度で解決が不可能な課題である。
“上には上”の現実と比較圧
地方の富裕層家庭の子でよくある話が、「地方では実家もお金持ちで成績優秀、勝ち組だと思っていたが…」というものだ。彼らが都市部の大学や私立学校に進学すると、「さらに上の世界の住人たち」と遭遇することになる。
たとえば慶応大学などでは、資産規模や文化資本の桁違いな幼稚舎出身との出会いによって「勝ち組出身」と思っていた幻想がガラガラと音を立てて崩れ去るという事が起きる話は有名である。
都市部の教育現場は、世帯年収1,000万円超の世帯割合が地方より大幅に高く、学習費も全国平均を上回る層が集中している(文科省調査)。 そこでの競争は地方出身者の想像を超える厳しさを持つ。
このような「格差の可視化」は、中間層にも上層にも起こり得る。とくに都市部の教育現場は、世帯年収や学習費において全国平均を大きく上回る層が集中しており、そこでの競争は地方出身者の想像を超える厳しさを持つのだ。
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結局、上には上がいるので大学や就職先でも、自分が競争のフィールドにいる間はずっと苦しい戦いが続いていく。そして人生の本質は競争なので彼らはずっと努力し続けることになる。
こうした富裕層の子の悩みは、周囲から共感を得にくい。この非対称性を理解しないまま「羨ましい」と軽々しく断じることは、当事者にとって軽視や無理解として受け取られる可能性が高いのだ。
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