インド側が求めた合意条項は、大統領の外交戦術の根幹であるIEEPAの裁量権を否定するものであり、受け入れ不可能だった。

インドの商務省関係者は「全ての要求をテーブルに出した」と述べたように、インドは原則を貫き、関税の安定性を最優先したが、トランプ大統領が裁量権を手放すわけがない。

結果、米国はIEEPAに基づきインドに対し25~50%の追加関税を課す報復措置を断行した。合意文書をもとめたインドは「しっぺ返し」を受けたわけだ。

現実的対応を選んだ日本、他国との対比

他方、日本をはじめ、英国・EU・韓国・ベトナムなどの国々はトランプ大統領の“相互関税”権限を尊重し、米国との合意文書にこだわらなかった。

契約の原理原則にこだわりすぎて、トランプの面子をつぶして、インドのように報復関税をかけられては身もふたもない。

代わりに、(一時的な)ディール成立後、法的拘束力を伴わない政治的覚書や各国独自の合意声明に留めつつ、短期的な「関税削減を確保」を第一とする現実的対応を選んだわけだ。

【参考文献】

The International Emergency Economic Powers Act No new tariffs after Bilateral Trade Agreement: India wants US assurance No new tariffs after Bilateral Trade Agreement: India wants US assurance Country-Specific Reciprocal Tariffs Take Effect Why has a US court blocked Donald Trump’s tariffs – and can he get round it?

編集部より:この記事は、浅川芳裕氏のnote 2025年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は浅川芳裕氏のnoteをご覧ください。

保証とは、合意後にトランプ大統領がインド製品へ追加関税を課さない約束を指す。クローバック条項とは、一方が関税引き上げや合意破棄を行った場合、他方が譲歩を撤回できる“安全装置”を意味する。

インドのクローバック条項要求とその背景

インドがこうした詳細の合意文書を求めた理由は、主力産業であり、労働集約型の繊維や皮革などの産業が、関税の急変動に極めて脆弱だからである。

これらの産業は、関税の急変動が輸出計画を狂わせ、国内経済に深刻な打撃を与える。インドは、法的拘束力のある合意文書によって、トランプ政権の関税裁量を封じ、安定した貿易環境を確保しようとした。

トランプ政権の関税裁量とインドの警戒

また、インドは交渉当初から合意文書を求めたのは、トランプ政権の交渉手法を熟知していたからでもある。

第一次トランプ政権時から、中国との合意直後にも「不公平関税」や「国家安全保障」を口実に頻繁な関税変動があったことを注視していた。

トランプ大統領の予見不能な関税変動を可能にする背後には、米国の一連の法律がある。

国際緊急経済権限法(IEEPA)をはじめ、国家非常事態法、1962年通商拡大法232条、1974年通商法604条・301条などだ。。

特にIEEPAは、国家非常事態宣言下で一律の「相互関税」を相手国にかけられる柔軟な操作可能性を担保している。

米国との交渉決裂と報復関税の「しっぺ返し」