例えばこんな話があります。
尾張藩(現在の愛知県西部に所在)に仕えていたある侍は、傘を差して歩いている時に町人とぶつかりました。
侍は町人に謝罪するように求めましたが町人は無視をしたため、無礼討ちをしようとしたのです。
しかし侍は「丸腰の人間を殺すのは武士としていかがなものか」と考え、自分が持っている脇差を町人に渡して決闘という形にしようとしましたが、町人は脇差を持ったまま逃げ出して、「私は侍を打ち負かしたぞ!」と周りに言いふらしたのです。
それを受けて侍は雪辱を果たすために町人の家を突き止めて、町人の家族全員を殺しました。
このようなこともあって無礼討ちは庶民に対して、武士が生殺与奪の権を持っていることを示威するためのものではなく、武士の名誉の回復と攻撃から自分を守るための正当防衛という性質が強かったようです。
武士は自身の名誉を守るために仇討ちや無礼討ちをすることを強いられており、武士にとって復讐は権利ではなく義務であったことが伺えます。
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参考文献
早稲田大学リポジトリ (nii.ac.jp)
https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/6282
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部