ベネディクト16世はその後、2013年2月11日、枢機卿会議で、「ローマ教皇の職務を遂行するだけの体力と気力がなくなった」と述べ、生前退位の決意を正式に初めて表明し、「速やかに後任教皇の選出の準備に取りかかるように」と要請している。それを受け、メディアはベネディクト16世の生前退位の理由は健康問題にあった、と報じてきた。ただ、ゲンスヴァイン大司教からは、同16世の健康状況が当時、退位しなければならないほど厳しかった、といった話は聞かない。実際、ベネディクト16世は退位し、名誉教皇として2022年まで生きている。すなわち、健康を理由に生前退位したとしても、その後10年余り生きていたことになる。同16世の生前退位を巡る「健康悪化説」は説得力を失うのだ。

重要な問題は、ゲンスヴァイン大司教の「2012年9月末」説が事実とすれば、ドイツ出身のベネディクト16世に当時、何があったかだ。2006年からベネディクト16世の個人執事だったガブリエレ氏が同16世の執務室や法王の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン氏の部屋から教皇宛の個人書簡やバチカン文書などを盗み出し、その一部を暴露ジャーナリストに手渡すという不祥事を起こした(通称バチリークス)。バチカンは当時、その対応に大慌てとなった。同事件はベネディクト16世にとってもショックだったことは間違いないが、同16世の健康と気力を失わせ、生前退位の決意を固めさせたとはどうしても思えない。ちなみに、「べネディクト16世が12カ月以内(2012年11月まで)に殺される」というバチカンの機密書簡内容がイタリアの一部メディアで当時、報じられたことがあった。いずれも、ペテロの後継者の地位であるローマ教皇のポストを退位する理由としては少々弱い。

ベネディクト16世の生前退位の決意が「2012年9月末」に下されたというゲンスヴァイン大司教の発言を再度慎重に検証する必要があるだろう。べネディクト16世の未公開の書簡が今回公表されたことで、同16世の生前退位問題がまだ謎に満ちたテーマであることを改め明らかになった。その謎を解くカギは「2012年9月」にあったのではないか。

べネディクト16世 Wikipediaより