東京地裁は今年、名誉毀損およびプライバシー侵害を認め、約110万円の賠償と記事削除を命じました。プレジデント社は判決を受け入れ、当該記事を削除。筆者は控訴、高裁による判断を待っている状況です。
この事件は、実子誘拐の報道の公益性は認められるのか、国内メディアが「実子誘拐」という言葉を避け続けるのか、占うことにもなる重要なものだと考えています。
言葉の選択がもたらす社会的影響
実子誘拐に当たるケースで「子連れ別居」という表現を使うことは、行為の対象を広げ、一般化、抽象化し、実子誘拐の被害当事者の感情を軽視する印象を与えます。また、一方親の同意のもとに別居した同居親にも、「自分は悪いことをしたのか」と不安や罪悪感を与えることになります。
結果として、実子誘拐の社会問題としての認識も広がらず、制度的な欠陥も、当事者が抱える苦痛も可視化されにくくなります。また、国際的には「親による子の連れ去り」「誘拐」「拉致」として認識されている問題が、日本では「家族内のトラブル」として扱われてしまうことで、国際批判の対象ともなります。
日本のマスメディアが「実子誘拐」という言葉を使わない理由は、法制度の制約・報道慣行・名誉毀損リスク・世論や女性団体による圧力など、複合的な要因によるものと言えます。しかし、現実の苦しみや被害を表現の曖昧さで覆ってしまうことは、問題の解決や当事者の支援を遠ざける結果になりかねません。
これを読んでいただいた方には、「人権」の国際的基準と日本法の差を理解し、当事者の声に耳を傾けることや、報道に対して「なぜこの言い回しなのか」と問い続ける姿勢を持つことをお願いしたいと思います。これにより、法と報道のあり方が少しずつでも変わり、苦しむ当事者への理解と制度的な支援が拡充されることを願います。