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先日、フランス・パリの裁判所で、東京の自宅から子ども2人を連れ去り、フランス人の元夫と面会させなかったとして、「子連れ別居」の日本人元妻に対して禁錮2年、さらに親権剥奪という有罪判決が言い渡されました。
事件を報じた日本のメディアは、この日本人妻の行為を「実子誘拐」ではなく、「子連れ別居」と穏やかな表現で扱っています。この表現の“やわらかさ”は、報道を受け取る側に与える印象にも大きな差を生みます。
日本国内で日々増え続けている実子誘拐の当事者の方々は、「自分の子が一方親によって誘拐されたのに、なぜ報道ではそう呼ばれないのか」と深い憤りと疑問を抱かれていることでしょう。なぜ日本のマスメディアは「実子誘拐」という言葉を避け、「子連れ別居」などの表現で和らげるのかについて、法制度・報道倫理・社会慣行・訴訟リスクの観点から考えてみたいと思います。
「実子誘拐」と「子連れ別居」の言葉の違い
日本で横行している「実子誘拐」は、ひどいケースでは、子を連れ去る側が相手方の有責事由を一方的に挙げ連ね、婚姻費用や慰謝料、養育費などの金銭的要求のみを行い、子どもに会わせようとしません。ありもしないDVをでっち上げるケースも多くあります。連れ去られた側の親は、自分の子どもの居場所がわからず、生きているのかどうかもわかりません。
一方「子連れ別居」は、ひどいDVからの避難や、一時的な夫婦げんかで少しの期間離れて頭を冷やしたい場合や、夫婦お互いに納得の上で一方親が子どもを連れて別居する場合など、幅広い場面が想定されます。