野田佳彦は自身の質問時間をオーバーしても、この後も他の議員の質問時間を削って、石破茂に80年談話を出すことを繰り返し強く要求していました。

野田佳彦代表 立憲民主党HPより (5)

80年談話を出せ!

日本は忘れてまた愚かな事をする。

日本人は過去を忘れるから80年談話を出さなきゃダメ。

二度と戦争をさせないために出す必要がある!

というふうに翻訳すると、野田と石破のやり取りも腑に落ちると思います。

将来世代にも罪の意識を刷り込み、生きている限り日本と日本人は永遠に謝罪しつづけなければいけない罪の民と洗脳し続ける負の歴史に安倍晋三総理が70年談話でピリオドを打ったのです。

石破茂は野田とのやりとりで70年談話の内容に納得していない事も明らかにしています。

以前から書いてきましたが、野田佳彦は過去の落選の期間の間に民潭船橋支部長と知り合い、民潭船橋支部長にお金をもらい続ける関係となりました。

そして2009年の総選挙で勝った後は船橋の民潭に選挙に勝った事のお礼をしに行く始末です。

野田佳彦は常に日本ではなく韓国ファーストで動いてきました。

彼が総理に就任すると日本での国会審議よりも訪韓を優先しました。

当時韓国の経済危機が叫ばれていた中でした。

そこで野田佳彦は巨額の通貨スワップ枠を韓国に提供する事で韓国経済を支えました。

これで日本は批判してこないと調子に乗った韓国は李明博大統領が反日パフォーマンスを強化、李明博が我が国の竹島に不法上陸するパフォーマンスまで行われました。

野田佳彦は韓国との通貨スワップ枠だけでなく、中韓の国債を100億ドル購入するという話も進めていました。

これは野田佳彦としては中共の「元の国際化」を手伝う目的もありました。

【募るドル不信 中国、日本と「国債持ち合い」へ動く 人民元の国際化急ぐ】 (2011/12/25 日経新聞)

しかし、野田佳彦と民主党政権があまりにも韓国に媚びるため、李明博政権が調子に乗ってしまって、反日パフォーマンスをがんがん拡大させて日本国民の反日感情が強くなりすぎてしまったことで