産業革命の時代、人々は織機や蒸気機関に職を奪われると危惧した。実際、単純な肉体労働の需要は減ったが、代わりに機械を操作・管理する仕事が生まれ、結果的に経済は拡大した。
インターネットの登場時も同様である。FAXや郵便による通信が衰退する一方で、Web制作やSEO、デジタル広告といった新たな仕事が出現した。
AIもまた同じ系譜にある。過去との違いはその速度と適用範囲の広さにあるが、本質的には「労働の代替と仕事の再定義」という歴史の延長線上にある。
「AIにすべて奪われる」という反論
もちろん、「それはAIの進化を舐めている。いずれAIが仕事そのものを奪う」という声もある。
たしかに、翻訳や法務文書のレビュー、画像診断といった専門的なホワイトカラー業務においても、AIの代替が進んでいるのは事実である。たとえば、金融業界ではAIが数秒で膨大なデータを分析し、投資判断を補助している。法務分野では契約書レビューの初期チェックはAIが担うケースもある。また、一部では既にAIの影響で産業そのものが蒸発する事例もある。
だが全てではない。顧客との信頼構築、複雑な交渉、最終判断といったプロセスは、依然として人間の役割である。また、AIの出力に対する責任の所在、判断の法的・倫理的正当性、顧客との感情的なつながりなど、AIには限界がある。
AIは万能ではない。エネルギーコスト、アルゴリズムの透明性、データバイアスの問題など、解決すべき課題は山積している。まだ法整備が追いついていない部分は多く、世界的に協調介入もあり得る。
AI脅威論が出てくると「中国が好き勝手使い始めて世界が混沌になる」といった意見があるが、実際はその逆で「無法」どころか同国では世界でも珍しい事前審査制を取っている。
安全評価、アルゴリズムの登録、利用者の実名制などが義務付けられ、違反には高額な罰金やサービス停止が科される。これは「AIが無制限に暴走する」どころか、「国家がAIを完全に制御したい」強い意志の現れである(国家そのものがAIを使って暴走するなら話は別だが…)。