さらに恐ろしいのは、一社に長く勤め続けると、自分の所属する会社しか見えなくなり、こうした世の中の変化にすら気づけなくなるということだ。リスキリングを行わなければ、変化に対応できないどころか、変化の存在すら認識できない。だからこそ、今問われているのは、静的な「学歴」よりも、動的な「学び直し」なのである。

これからの「学歴」の価値

ここで誤解してはならないのは、「学歴の価値がゼロになった」という短絡的な誤解である。低下したがゼロにはならない。特に若年層においては、学歴は依然として強力なシグナリングとして機能している。

難関大学への合格には、目標達成のための計画性、持続的な努力、一定以上の知能水準が求められる。これはしばしば、恵まれた家庭環境や教育資源とも相関する。つまり、学歴とは「地頭」だけでなく「育ち」や「継続力」といった複合的な資質の表れであり、たとえビジネスの即戦力ではなくとも、高い“期待値”を与えるのは自然なことだ。

「高学歴でも使えない人はいる」という指摘もあるが、それは裏を返せば「低学歴ではさらにその傾向が強くなる」という統計的現実につながる。要は“絶対値”ではなく、“期待値”として捉えるべき話なのだ。

さらに言えば、学問を通じて「抽象的に考える力」や「構造化する力」を鍛えた人間は、リスキリングにおいても順応しやすい。従って、結論は「学歴は高いに越したことはない。だが、それに依存する時代ではなくなった」である。

一つの仕事だけで食える時代は終わった

現代日本において、「一社一職で定年まで」というモデルは、もはや例外である。AIの進化によって業務の境界線は溶け、ジョブ型雇用が拡大する中、「複数の収入源」を持つことがリスクヘッジとして必須になりつつある。

実際、筆者自身も2025年に新たなビジネスを立ち上げた。これまでの実績や経験がまったく通用しない未知の領域への挑戦であるが、そうしなければ変化のスピードに取り残されるという危機感があった。独立して以降、「今の仕事で10年後に生き残れる保証などない」という危機意識は常に持っている。