信仰心に訴える論証

Appeal to faith

論者への信仰心を喚起させて論者/論敵の言説を肯定/否定する

<説明>

「信仰心に訴える論証」とは、証拠を示すことなく、【信仰心 faith】を根拠に、自分の信者に対して自説を無批判に肯定させる、あるいは論敵の言説を無批判に否定させるものです。人は自らの限界を認識すると、その限界を超えると認定した存在に従って行動するよう動機付けられます。このような理性を超えた信仰心を喚起すれば、すべての言説を都合よく肯定・否定させることが可能となるのです。

しばしば、この誤謬は、論理を欠いた【カルト】の教祖やインターネットの【エコーチェンバー】のインフルエンサーが、彼らを盲信する信者に対して使います。特に誹謗中傷による論敵に対する人格攻撃は、信者の暴力性を引き出し、現実空間におけるテロリズムやサイバー空間におけるネットリンチを誘発します。脱会を検討する信者の繋ぎ止めにも有効です。

「私を信じられないの?」という言葉で、他者に【罪悪感 guilt】を喚起し、自説を信じるよう強制する【感情的恐喝 emotional blackmail】も信仰心に訴える論証の変化形です。

誤謬の形式

証拠はないが、主張Xは真/偽である。信仰心があればわかることだ。 主張Xを肯定/否定するのは、信仰心がないからだ。 信仰心があれば、主張Xを肯定/否定することはできない。

<例1>

信者A:人間はサルから進化しました。 教祖:何を言っているんだ。人間は神が創った。お前は神を冒涜するのか。 信者B:こいつは信仰心が足りないからこんなデマを言い出すのです。 信者C:汚らわしい。もちろん私は神を信じます。 信者A:でも遺伝子科学によって事実が立証されています。 信者D:そんなことを言う奴は人間のクズだ。 信者E:本当にそう。Aは顔もおぞましい。

人間がサル(サル目)から進化したことは遺伝子科学から導かれた事実ですが、神を創造主と説くカルト教団にとってこれは不都合な事実です。この事実を否定するにあたって、カルトの教祖が信者にしばしば説くのが、神に対する信仰心の低さが事実を見誤らせるという詭弁です。信者を含めこの詭弁に反論する人は、カルト教団から人格攻撃や誹謗中傷を受けることになります。サイバー空間におけるネットリンチもしばしば同様のメカニズムで発生します。