フランスによるパレスティナ国家の承認方針表明に、英国、カナダなども追随して、ガザでのジェノサイドに対する抗議が国際社会の大勢に大きな影響を与えている。

G20では、承認済がアルゼンチン、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコで、承認予定・前向きがフランス(2025年9月予定)、英国(条件付き、9月予定)、カナダ(民主改革待ち)となり、未定ないし慎重派は、アメリカ、ドイツ、イタリア、日本、韓国、オーストラリアと少数派になった。

パレスチナ自治政府のアッバス大統領と マクロン大統領 2023年10月 マクロン大統領Xより

しかし、パレスティナ国家が将来も認められないとなると、論理的にはイスラエルを含むパレスティナ全域がイスラエルになるはずで、だとすれば、アラブ系の人々に参政権を与えるべきである。

現在はそれでもユダヤ系の方が多数派になるが、出生率の違いなどから将来はアラブ系が多数派になることが予想され、ユダヤ人はイスラエル国家の少数派となり、南アフリカのボーア人(オランダ系を主とする白人)と同じように少数民族として暮らすことになるはずだ。

そのことを念頭に置きつつ、パレスティナ地域が国際法的にどこの領土であってきたのかを整理してみた。

⑴ オスマン帝国時代(~1917)

1917年まではオスマン帝国支配下にあって、大部分がエルサレム特別行政地区で、海岸部の一部はベイルート州だった。

⑵ サイクス=ピコ協定とバルフォア宣言(1916~1917)

第一次世界大戦中のサイクス=ピコ協定(1916年)では、エルサレム周辺)は「国際管理地域」、それ以外のシリア・レバノンが十字軍の時代からの経緯で聖地に特別の形で関与してきたフランス支配地域(青色地帯)とされた。

しかし、1917年にバルフォア宣言がなされ、英国政府が「ユダヤ人の国家的郷土の建設を支持する」と宣言し、一方で、フサイン・マクマホン書簡(1915)でアラブ独立を約束。

⑶ 英国の委任統治と国際法上の地位(1920~)