「イエス・キリストは神である」と決定したにニカイア公会議が開催されて今年で1700年を迎えた。バチカンからの情報によると、新教皇レオ14世はこの秋、最初の使途的訪問として西暦325年に開催されたニカイア公会議(二ケア公会議)の開催地、ニカイア(現在のトルコの都市イズ二ク)を訪問する予定、といわれている。

コンスタンティヌス1世が「ニカイア・コンスタンティノープル信条」のテキストを広げている、ギリシャのメガロ・メテオロ修道院の中世のアイコン Wikipediaより

レオ14世は6月7日、バチカンで開催されたアンジェリカム(エキュメニクム)と国際正教神学協会が共催するシンポジウムで、「ニカイア公会議は単なる過去の出来事ではなく、全てのキリスト教徒の、完全な目に見える一致へと私たちを導き続ける羅針盤だ。私たちは共に、三位一体の神、真の人であり真の神であるキリスト、そして教会で読まれる聖書に従い、聖霊の導きのもとに、イエス・キリストによる救いを信じている」と説明している。

ニカイア公会議は、史上初のエキュメニカル公会議だ。この公会議のテーマは、「ロゴスであるイエス・キリストは被造物か、それとも神か?」だった。コンスタンティヌス1世(大帝)の招待により、ローマ帝国各地から数百人の司教が、現在のトルコのイズニクにあたるニカイアの町に初めて集まった。

4世紀、ローマ帝国には多くの宗教や宗派が存在し、統一されたキリスト教会は存在していなかった。しばしば対立する諸潮流を統合し、紛争を鎮めるため、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は公会議を召集したといわれている。帝国の約1,800人の司教のうち、公会議に出席したのは200人から300人程度だったという。

教会はローマ皇帝の保護下に置かれていた。皇帝が保護権力だった。同時に、教会が世俗権力、つまり皇帝に依存することをも意味していた。公会議の裁定に従わなかった異端者への罰は、追放であった。