現代語訳は以下の通り。

私は以前、教育勅語を発して国民道徳の根本を示した。 しかし近年、教育の風潮は次第に変化し、勅語の趣旨を誤解したり、軽んじたり、あるいはそれに背く者も現れている。 今や列国との条約改正を議する時期にあり、国民は寛容で礼儀を守る態度を取ることが求められる。 また女子教育の充実を図り、社会的地位を高め、青年の驕りを戒め、謙虚さと博愛の徳を養うことが必要である。 このような時にあたり、私は教育の本旨を補正し、新しい時代にふさわしいものとしたいと考える。 そなたたち国民は、私の意をよく理解し、それぞれの職務に励むように。

昭和期に入り、教育勅語は事実上「不磨の大典」とされ、批判や見直しの余地を封じられるようになったが、これは明治天皇自身の意志とは異なる「神格化」と「国体論」的な受容の産物である。もし明治天皇が長命であったならば、あるいは西園寺の構想がより早期に公表されていれば、教育勅語は時代に応じて柔軟に改訂され、「近代国家としての道徳規範」として新しい形をとっていた可能性が高い。

とくに改訂の必要ありとされたのが、外国に対して、国民は寛容で礼儀を守る態度を取ることであり、女子教育の充実を図り、社会的地位を高め、青年の驕りを戒め、謙虚さと博愛の徳を養うべきことなのであるから、参政党も含めて保守派が願っている路線は正反対のものであることを強調したい。