黒坂岳央です。
近年、「難しい言葉を使うのは良くない」「賢い人は専門用語を使わず説明できるべきだ」といった主張を耳にする機会が増えてきた。聞き慣れない言葉を使えば、「この人は平易な言葉に言い換える力がない」と、まるで無能であるかのように否定される風潮がある。
確かに、相手に応じて言葉を選び、分かりやすく伝える努力は重要である。それが「言語化力」であり、「説明のうまさ」と呼ばれるものであることに異論はない。
しかし、「難しい言葉=悪」という図式は短絡的すぎる。本来重要なのは、「簡単な表現に置き換える力」と同じくらい、「適切な専門語を適切な文脈で使いこなす力」である。難解な言葉は、それが必要だから存在しているのであり、むしろ上手に使いこなせることは知的な証でもあるのだ。

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フェラーリの赤をなんと表現する?
言葉は本来、意味を精密に伝えるために細かく分化している。「赤」という色を例にとってみよう。日常会話では「赤」で済むかもしれないが、実際にはワインレッド、カーマイン、朱色、臙脂(えんじ)など、微妙な違いを持つ表現が存在する。
たとえば、普通自動車、軽自動車の赤とフェラーリの赤を見比べてみれば、多くの人が「フェラーリの赤は他とは違う美しさがある」と直感的に感じるだろう。これは塗料の層、顔料の品質、ブランドイメージなどが視覚に訴えるからである。そしてこの色には「フェラーリレッド」という名前が与えられており、たった一言でその鮮やかさと高級感を表現できる。
つまり、言葉が細かく分かれているのは、「違いがあるから」「伝える必要があるから」なのである。難しい言葉は、人間の認知とコミュニケーションの精度を高めるために必要不可欠な道具なのだ。
情報の“圧縮率”を上げるために必要
難しい言葉には、もうひとつ大きな役割がある。それは「情報の圧縮」である。つまり、少ない言葉で多くの情報を伝える力を持つ。