疑問3:卑弥呼の王墓は径100歩(140m)と書かれている。奴国に巨大な王墓はない。
回答3:王墓の記述も誇大である。卑弥呼の死去は狗奴国との戦乱中で、死後には政権内に混乱が生じた。そんな時に巨大な王墓はつくれない。王墓は比恵・那珂遺跡の方形周溝墓などが候補になる。
疑問3:卑弥呼の王墓は径100歩(140m)と書かれている。奴国に巨大な王墓はない。
回答3:王墓の記述も誇大である。卑弥呼の死去は狗奴国との戦乱中で、死後には政権内に混乱が生じた。そんな時に巨大な王墓はつくれない。王墓は比恵・那珂遺跡の方形周溝墓などが候補になる。
以上のとおり、女王国=奴国は、魏志倭人伝からも説明可能です。魏志倭人伝は女王国=邪馬台国と誤解して書かれ、読まれてきました。それが邪馬台国論争に結論が出ない原因なのだと思います。
邪馬台国とヤマト王権は連続していますが、卑弥呼とヤマト王権は連続しているわけではありません。
※ 僕は2020年のアゴラ記事では女王国=山門説でした。外交拠点の痕跡を重視すべきだと考えなおし、博多説に変更しました。 ※ 女王国と邪馬台国が別の国であるという説は戦前からあります。九州説、大和説に加えて、この説にも注目を、というのが今回の記事の目的です。
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浦野 文孝 千葉市在住、古代史に関心のある一般市民。