
イラストAC
僕は、邪馬台国論争は現段階では結論は出ないと考えています。魏志倭人伝でも考古学でも決定的証拠はないからです。
1つの可能性として「卑弥呼博多/邪馬台国大和説」を提示します。邪馬台国は大和にあったけれども、倭国の王都は奴国(博多)であり、卑弥呼は博多にいたという説です(東遷ではなく、九州の倭国と大和の邪馬台国が同じ時代に並存したと考えます)。
詳しい根拠や出典は僕のnoteで説明していますが、ここでは概略を紹介します。

「卑弥呼博多/邪馬台国大和説」への招待|浦野文孝|note
卑弥呼と邪馬台国に関する僕の説をマガジンにまとめました。僕は邪馬台国論争は現段階では結論は出ないと思っています。1つの可能性として「卑弥呼博多/邪馬台国大和説」を提示するものです(2025/6/22~28に投稿したnote4本)。
○女王国(卑弥呼の都)と邪馬台国は別の国(東遷ではない。同時代に並存)
○女王国(卑弥呼...
女王国と邪馬台国は別の国
一般的には、魏志倭人伝に登場する「女王国」(卑弥呼の都)と「邪馬台国」はイコールだと認識されています。もしそうだとすると、以下のような矛盾が指摘できます。
朝鮮半島北部から女王国まで1万2000里と書かれ、途中の伊都国(福岡県糸島市)から女王国までは残り1500里しかないのに、邪馬台国には九州北部から船で30日、歩いて1ヶ月もかかる。
邪馬台国まで60日もかかるのに途中国の描写がない。日数は倭人からの伝聞で、実際には邪馬台国を訪れていないことを示す。一方、卑弥呼や王宮の描写は具体的で、詔書や金印を授けている。つまり、魏の使者は邪馬台国を訪れていないのに、卑弥呼には会っている。
このような矛盾は、女王国と邪馬台国が別の国だったと考えると解消します。1万2000里(伊都国から残り1500里)は女王国までの里数、水行陸行は邪馬台国までの日数です。魏の使者は邪馬台国は訪れていませんが、女王国で卑弥呼に会っています。