日数では邪馬台国の所在地を特定しようがありません。鍵となるのは発音です。邪馬台国は古代中国語では「ヤマト国」と読みます。古代の日本列島では、「ヤマト」は九州の「山門」と近畿の「大和」が知られています。

万葉仮名の研究により、古代日本語の「ト」の発音には甲類・乙類の2種類があったことがわかっています。邪馬台と大和の「ト」は乙類、山門は甲類です。発音からは、邪馬台国は大和と考えていいと思います。

ただし、大和(纒向)は外交拠点の実態がなく、卑弥呼の都とは考えられません。3世紀の邪馬台国はまだ地方の新興国で、ヤマト王権に発展したのは4世紀以降だったのではないでしょうか。

女王国(卑弥呼の都)は奴国だった

外交拠点だったことを示す中国鏡や楽浪(朝鮮半島北部)系土器が集中しているのが、福岡県の糸島平野(伊都国)と博多平野(奴国)です。女王国は伊都国から離れたところにあり、候補地は奴国に絞られます。古代には儺県(なのあがた)とも呼ばれた地域で、比恵・那珂遺跡が中心となります。

倭国のNo.2で銀印などを贈られた難升米は「儺(な)・しめ」であり、奴国王かつ男弟だった可能性があります。比恵・那珂遺跡は1.5km以上の道路もつくられた都市であり、外交拠点、青銅器や鉄器の生産拠点として発展していました。

女王国=奴国は一見突拍子もない説に見えるかもしれません。ここでは3つの疑問に答える形で、魏志倭人伝と矛盾しないことを説明します。

疑問1:邪馬台国が「女王が都を置いているところ」であり、「女王国」は邪馬台国ではないか。

回答1:魏志倭人伝には女王国の国名は書いてない。女王国と邪馬台国は別の国であり、「女王国」と「女王が都を置いているところ」の記述は無関係である。古代の日本列島には女王が複数いた。

疑問2:伊都国から奴国は100里だが、伊都国から女王国は残り1500里である。

回答2:魏志倭人伝の里数は誇大であり、相対的にも不正確である。朝鮮半島北部からの1万2000里という数字が先にあり、国と国との里数が適当に割り振られたと考えられる。もともと整合性はないのだから、100里と1500里で違っても問題にはならない。