とはいえそのことと、女性がいまほど外で働かなかった「古い家族」(正確には昭和以降だが)に戻して、日本の人口が大復活するという参政党のビジョンに現実性があるかは、別の問題だ。

America Firstをもじった「日本人ファースト」を掲げて、同党がトランプに倣った保守革命を標榜しているのは自明だが、そこには大きな見落としがある。もっとも、実はトランプを論じる人のほとんども、気づいていない。

カトリックに改宗し、およそ「よい家父長」には見えないトランプを補佐して、政権の復古調を支える副大統領のJ.D.ヴァンスは、名前だけはみんなが挙げるその著書で、自身が育った家庭環境をこう描いている。

うちの家族は完璧というわけではなかったが、周りの家族も似たようなものだった。たしかに両親は激しいけんかをしたが、ほかの家でも同じだった。また私にとって、祖父母が果たす役割は両親と同じぐらい大きかったが、これもヒルビリーの家庭では普通のことだ。

少人数の核家族で落ち着いた生活を送るなどということはない。おじ、おば、祖父母、いとこらと一緒に、大きな集団となって混沌とした状態で暮らすのだ。

文庫版、125頁(改行を追加)

題名にもあるHillbillyは「田舎者」の意味で、米国東部の峻険なアパラチア山脈が出自の貧困層を指す。地理的にも経済的にもハードな環境は、男女とも荒っぽい気風に育てるし、銃とアルコールとドラッグが蔓延する社会だから、小さな核家族では問題を処理できない。

夫婦げんかでふつうにライフルが出てくる日常では、(幼いヴァンスも含めて)子供は祖父母の家に避難したり、親戚に仲裁に入ってもらったりして生き延びる。親ガチャに外れても、ていうか基本ハズレが前提なので、「家」の範囲を広く採って互いに助けあうわけだ。

エマニュエル・トッドは、米国を個人主義的な自由競争を生む「絶対核家族」の社会と呼ぶが、ヴァンスはむしろ「共同体家族」の環境で育った。典型的にはロシアで強い伝統で、それがプーチンの権威主義の土台である。