ジミーはホームズを通じて、ボートを使い沖合で麻薬を受け渡すという金儲けのビジネスに関わるようになりました。

しかし2人の関係は、とあるプレジャークルーザーを沈めるという詐欺事件をめぐって崩壊します。

1930年代半ば、オーストラリアは世界恐慌の影響で経済的に追い詰められていました。

資金繰りに困ったジミーは、かつてのビジネスパートナーであるホームズに対して恐喝を行おうとし、裏社会内部での緊張が高まっていったのです。

そして事件は起こります。

ジミー・スミス殺人事件、腕の行方は?

ジミーが最後に生きて目撃されたのは1935年4月7日、シドニー郊外にあるセシル・ホテルでのことでした。

彼は「パトリック・ブレイディ(Patrick Brady)」という男と酒を飲み、カードをしている姿が目撃されています。

2人は酔いが回った後、ブレイディが通り沿いに借りていた小さなコテージへと向かいました。

後にタクシー運転手が警察に語ったところによれば、彼はブレイディをそのコテージから、レジナルド・ホームズの住む通りまで送ったとのことです。

さらに運転手は「ブレイディが目に見えて緊張しており、ジャケットの下に何かを隠しているようだった」と証言しています。

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時が進み、水族館のイタチザメがジミーの腕を吐き出してから3週間後の1935年5月16日。

ここまでの経緯からブレイディは殺人の容疑で逮捕され、彼はすぐさまホームズを犯人として名指ししました。

警察がホームズを取り調べたところ、彼は「ブレイディのことは一切知らない」と否認しました。

5月20日、動揺していたホームズはスピードボートに乗り、銃を携えてシドニーハーバーへ向かいました。

彼は泥酔し、自殺を試みましたが命を取り留め、意識がもうろうとした状態で目覚めます。

その後、彼はパニック状態でスピードボートを走らせ、警察との水上でのチェイスを繰り広げた末、自首しました。