失われた「証拠写真」を求めて
1998年、マッカールは人食いの木を探すべくマダガスカルへ旅立った。彼の心を動かした理由の一つに、1935年にこの木を探したとされる元イギリス軍将校「L・ハースト」の存在があった。
マッカールの記録によれば、ハーストはムコド族こそ見つけられなかったが、ある狩人から人食いの木が実在し、今でも密かに人間が生贄に捧げられているという話を聞き出した。そして4ヶ月の探索の末、ついに巨大な食肉植物に遭遇したというのだ。
「ハーストは、ネズミのような小動物を飲み込む巨大な食虫植物の写真や、その下に大きな動物の骸骨が転がる未知の木の写真などを持ち帰った」とマッカールは記している。しかし、木が巨大すぎて持ち帰れなかった上、科学者たちは写真を偽物とみなし、彼の発見は無視された。失意のハーストは再びジャングルへ向かったが、二度と戻ることはなく、謎の死を遂げたとされる。
マッカールは、このハーストが撮影したとされる写真が、どこかの出版物に掲載されたはずだと信じていた。だが、その場所を特定できないまま彼は2013年に亡くなり、写真の行方は謎に包まれたままだ。
記憶違いか?ハースト探検隊の真相
果たして、失われた写真は本当に存在するのだろうか。ここで一つの仮説が浮かび上がる。マッカールが語った「L・ハースト」とは、1932年に人食いの木の探検を計画した「ヴィクター・ド・ラ・モット・ハースト大尉」の記憶違いではないか、というものだ。
ハースト大尉は当時、新聞で大々的に探検隊員を募集していた。彼の探検計画は、人食いの木の生贄の儀式を撮影することに主眼が置かれていた。当時の新聞には、女性が生贄にされるショッキングなイラストと共に、「巨大なハエトリグサに捕らえられたネズミ」とされる写真も掲載されていた。

この「ネズミの写真」こそ、マッカールが「ハーストが撮った写真」として記憶していたものの正体ではないだろうか。つまりマッカールは、1932年に報じられた「探検計画の記事」を、実際に行われた「探検報告の記事」だと勘違いして記憶してしまった可能性があるのだ。
ちなみに、ハースト大尉の探検は実際には行われなかったか、あるいは計画倒れに終わった可能性が高い。彼はその後、天寿を全うした記録が残っており、少なくとも人食いの木に食べられてはいないようだ。